年頭之感


謹賀新年



 「ともかく十周年は終わりましたよ」
 筋骨隆々の2016年氏はそう言った。
 「ともあれ、これで前へ進めるわけですな」
 2016年氏は肩の荷を下ろしたようにホッとした顔つきで去っていった。


 「年末年始に立て籠もりたい」
 森見登美彦氏はつねづねこのように思っている。
 思えば立て籠もってばかりの人生であった。
 学生時代は四畳半に立て籠もり、小説家としてデビューしてからは妄想の京都に立て籠もり、仕事に破綻をきたした2011年以降は奈良盆地に立て籠もってきた。そんな登美彦氏にとって「年末年始」という時空はひどくステキなものである。時間の流れがゆるやかに感じられ、みんなが優しくなり、慌ただしい日常から日本全国が切り離されたようになる。クリスマスから仕事納め、大晦日を経て、お正月の三が日。ずっと年末年始を繰り返すだけで生きていけるなら、どんなに素晴らしいことだろうか。
 しかしそういうわけにはいかないのである。


 登美彦氏は妻と一緒に2017年氏を迎えた。
 「明けましておめでとうございます」
 2017年氏は髪をキチンと撫でつけた背広姿で、いかにも仕事ができそうな佇まいであった。昨年、2016年氏はその腕力で登美彦氏を恫喝することによって呪われた十周年の幕を引いたが、2017年氏からは2016年氏にはない狡猾さのようなものが感じられた。
 「これから私の述べることはあくまで参考意見であります」
 2017年氏は森見家の居間でお雑煮を食べながら言うのであった。
 「あなたは毎年こう思いませんか。六月が来たとき、『え!もう一年の半分が終わったの?』と……」
 「思います思います」
 「それはなぜだか分かりますか?」
 「歳を取るにつれて月日の経つのが早く感じられるから……」
 「ちがいます!」
 「ちがうの?」
 「あなたは一月から三月を新年だと思っていないからです。いわば旧年のオマケだと思っている。そして四月がくるとようやく頭が新年に切り替わり始める。だから六月が来たときに、決まって時の流れの速さに驚くのです。そんなのアタリマエではないですか。一月から三月を旧年のオマケとしてボンヤリ過ごすことによって、タップリ三ヶ月分、あなたは世間に遅れを取っているのだから!」
 「一理あるな」
 登美彦氏が言うと、妻も「一理ある」と言った。
 「しかしねえ、エンジンが暖まるには時間がかかるものだから」
 登美彦氏が言うと、妻は「そうですねえ」と言った。


 やがて2017年氏は大きく「先手必勝」と書いた半紙を取りだし、居間の壁にぺたぺたと貼り始めた。やる気に充ち満ちた暑苦しい字体で、森見家の居間にはまったく似合わない。しかし年始早々2017年氏と喧嘩したくないので登美彦氏は黙っていた。
 2017年氏は壁に貼った半紙を見上げて言った。
 「あなたに必要なのはこれです」
 「そうかなあ」
 「すでに新年は始まっている。この確固たる事実を受け容れることです。そして、これまでないがしろにしていた『一月から三月』にこそ、いっそ燃え尽きる覚悟で努力しなさい。なにごともスタートダッシュが肝心。やらねばならぬこと一切を春までに終わらせればビッグな男になれます」
 「うへえ。年末年始に立て籠もりたい」
 登美彦氏は呻いた。
 「わがまま言っちゃいけません」
 2017年氏は厳しい口調で言い渡した。
 「今日のところはこれにて失礼。春日大社にもまわらねばなりませんから」


 玄関先まで2017年氏を見送った登美彦氏が居間へ戻ってみると、妻が「先手必勝」の半紙をいそいそと壁から剥がしていた。妻は正座して丁寧に半紙を折りたたむと、台所のゴミ箱にポイと捨て、登美彦氏に向かって敬礼した。「片付け完了いたしました」
 「それでよし」
 登美彦氏はそう言うと、新しい半紙に次の文言を書いて壁に貼った。
 「読者の期待にこたえない」
 それが新年にあたっての登美彦氏の抱負である。
 

 本年も宜しくお願いいたします。