昨年、十二月二十一日のことである。
森見登美彦氏は、万城目学氏と、ヨーロッパ企画の上田誠氏との忘年会に参加した。年末の京都に清らかなおっさんたちが集う忘年会も、すでに六回目を数える。
「六回目といえば」
ということで、万城目氏が新作『八月の御所グラウンド』で六回目の直木賞候補になっているという話になった。
しかし万城目氏の顔つきは暗かった。
「どうせあかんねん」
「待ち会はしないんですか?」
「そんなもんせえへんわ。いつもどおりにしてる」
それはいかん、と登美彦氏は思った。度重なる落選にウンザリする気持ちはよく分かるが、直木賞はようするに「お祭り」なのであって、盛りあがらなければ損である。「待ち会」は落ちてからが本番なのだ。落選したってええじゃないか!
「何をいじけてるんです。待ち会やりましょう!」
「なんでやねん!」
「やるなら東京まで行きますって」
「あ、それなら僕も行きます」と上田氏。
「マジですか。どうせ落ちまっせ」
「落ちたら朝までみんなでゲームしましょうよ」
三人の中で一番忙しいはずの上田誠氏がそそくさとスケージュル帳を広げたので、さすがの万城目氏も心を動かされたようであった。「そんなら京極さんも誘うか」と呟いてから、「あかん。京極さんは選考委員や」と言った。
それでも万城目氏は登美彦氏たちが本気なのかどうか、今ひとつ確信がもてなかったらしく、別れ際、「本当にくるんですね?」と、念を押した。
絶対に行きます、と登美彦氏は言った。
「どうせなら東京會舘に部屋を取ってください」
後日、万城目氏から、「東京會舘の部屋を調べたら途方もない値段だったので、新橋駅前の『ルノアール』の会議室を予約しました」と連絡があった。
「あと、綿矢りささんもくるということです」
年が明けて、一月十七日。
登美彦氏は奈良からわざわざ東京へ出かけていった。万城目氏から固く口止めされていたので、出版関係者は誰ひとり知らない。なぜか綿矢さんが「脱出ゲームしないんですか?」と言ったので、集合場所は築地の「パズルルーム東京」であった。
登美彦氏が築地の一角へいくと、万城目氏が店の前のベンチに腰かけて、やる気なさそうにボーッとしていた。登美彦氏は向かいのベンチに座った。
「緊張してないんですか」
「ぜんぜん緊張せえへん。いつもどおり」
そう言いながら、万城目氏はきちんと記者会見用の小綺麗な服を用意しているのだ。どこまでが本気で、どこまでが韜晦なのか分からない。
やがて綿矢さんがやってきて、登美彦氏たち三人は「脱出ゲーム」に挑んだ。ゲームの性質上、我々の健闘ぶりを描写できないのが残念である。密室を調べまわり、ああでもないこうでもないと暗号を解き、一時間半のゲームを終えると、すっかり全員がヘトヘトになっていた。その疲労を回復するためには「待ち会」よりも前に、「資生堂パーラー」でいちごパフェを食べる必要がある。
銀座へ向かって歩いていると、ふいに万城目氏が前方を指さし、思わせぶりな声で、「奇遇やなあ」と言った。その指先に目をやると、交差点の角にちょっと古風な建物がある。しかし登美彦氏はピンとこなかった。綿矢さんにいたっては、その向こうにある「すしざんまい」の看板を眺めていたのである。万城目氏に教えられて、ようやくその建物こそが芥川賞・直木賞の選考が行われる料亭「新喜楽」だと分かった。
「ははあ!あれが『新喜楽』ですか」
「へー!」
登美彦氏と綿矢さんが感心していると、
「自分ら、さすがにそれはどうかと思うで」
と、万城目氏は呆れた。
そうして登美彦氏たちは、今まさに選考委員が激論を交わしている「新喜楽」のとなりをノコノコ通りすぎて、銀座の資生堂パーラーへいった。
肝心の「待ち会」は始まってもいないのに、三人ともすっかり口数が少なくなっていた。資生堂パーラーで合流した上田誠氏は他の三人の憔悴ぶりに、「ゲーム中にケンカでもしたのか?」と思ったらしいが、単純に疲れていたのである。
午後五時半、ようやく新橋駅前の「ルノアール」へ入った。
現地でひとり待っていた担当編集者の柘植氏は、登美彦氏・綿矢氏・上田氏がぞろぞろやってきたのを見て、「え!なんで?」と驚いていた。
てっきり万城目氏と二人で待つものと思っていたらしい。
「どうして前もって教えてくれないんですか!」
柘植氏が言っても、万城目氏はへらへらしている。
新橋駅前の古いビルの一角にある会議室は殺風景だった。長いテーブルのまわりに椅子が置いてあり、部屋の端にホワイトボードが置いてある。
それから選考結果が分かるまで、登美彦氏たちは「ルノアール」の会議室ですごした。UNOで激闘を繰り広げ、綿矢さんが買ってきてくれたおにぎりとからあげを食べた。しかし選考が長引いているのか、なかなか電話はかかってこない。これまでに何度か「待ち会」をした経験がよみがえってきて、登美彦氏は手のひらにイヤな汗をかいてきた。
そして七時すぎ、綿矢さんがちょっと席をはずして、万城目氏が次のゲームを用意していたとき、電話が鳴った。登美彦氏たちは息を呑んだ。
すかさず上田誠氏が動画の撮影を始め、万城目氏は電話を取った。
「はい。ええ、そうです。はい」
万城目氏のやりとりは淡々としていた。
正直なところ、登美彦氏は「落選か」と思った。これからみんなでゲームをして、新橋の居酒屋で残念会を開き、明日には奈良へ帰ることになる。そしてしみじみとしたブログを書いて万城目氏を慰めてあげることにしよう……。
ところが万城目氏が、
「あ、受けます」
と言ったとたん、部屋の空気が一変した。
この瞬間、万城目学氏は直木賞作家となったのである。
登美彦氏は思わず「マジか!」と叫んだが、万城目氏が電話を続けているので声を押し殺さねばならなかった。担当編集者の柘植氏は、「よし!」「よし!」と小さく叫び、何度も床を踏みしめながらガッツポーズをする。それが心底嬉しそうであることに胸を打たれた。
「今、新橋なんで二十分ぐらいでうかがえると思います」
そう言って、万城目氏は電話を切った。
登美彦氏たちが口々に「おめでとうございます」と万城目氏に声をかけているところへ、ドアが開いて綿矢さんが戻ってきた。
その場にいる全員が叫んだのは言うまでもない。
「なんで一番肝心なときにいないんですか、綿矢さん!」
そこから先はずっと夢の中のできごとのようであった。
綿矢さんが「祝❤直木賞」と書いたホワイトボードの前で記念撮影をしてから、おそらく新橋界隈でもっとも高揚感に包まれた集団は喫茶室「ルノアール」をあとにすると、タクシーに分乗して丸の内の東京會舘へ向かった。
あまりの事態の急変ぶりに、
「脱出ゲームをしてたのが遠い昔みたいや」
と、綿矢さんは言ったが、登美彦氏も同感だった。
面白いのは、受賞の知らせを受ける前後で、万城目氏の雰囲気がはっきりと変わったことである。その変身はあまりにも鮮やかだったので、万城目氏は韜晦でもなんでもなく、本気で「受賞するわけない」と思っていたのだと分かった。
東京會舘で開かれた記者会見は、登美彦氏も後ろで見学していたが、万城目氏の話しぶりは堂々としていた。さすが幾多の講演をこなして鍛えてきただけのことはある。上田誠氏も「老獪!」と笑っていた。
会見をしめくくるにあたって万城目氏は、
「次は森見さんだとバトンを渡したい気持ちです」
と言った。
「そんな重いバトン、いらんわい」
というのが、登美彦氏の正直な気持ちである。
何はともあれ、万城目学さん、受賞おめでとうございます。
心よりお祝い申し上げます。
ちなみに、森見登美彦氏の新作『シャーロック・ホームズの凱旋』は、一月二十二日発売であります。