2015年 年頭之感


謹賀新年




 森見登美彦氏は妻といっしょに、玄関先にある信楽焼きの狸を磨いていた。
 一年の埃を積もらせた大小二つの狸は、まるで近年の登美彦氏のごとく光を失って薄らぼんやりとしていたが、登美彦氏と妻がキュッキュと磨いてやると、あたかも信楽で地上に降り立ったあの日のような輝きを放った。
 「磨けば光るというものだなあ」
 「ぴかぴかですねえ」


 そうして彼らが狸を眺めていると、2015年氏がやってきた。
 「やあ、どうも。じつにステキな狸でございますなあ」
 「これはどうも、2015年氏」
 「じつに寒いですな」
 「どうか中にお入りください」
 「それではお言葉に甘えて、ゴホゴホ。どうも風邪気味で困っちゃう」
 登美彦氏は2015年氏を居間に招き入れ、自慢のカズノコを御馳走した。登美彦氏は人生で初めて、カズノコの薄皮を剥いて味付けをしたので、すっかり得意になっていたのである。「どうです、うまいでしょう?」
 2015年氏は「うまいうまい」と言ってポリポリ食べて酒を飲むと、グッと身を乗りだした。
 「それで森見登美彦氏の今年の目標は?」
 「そんなことを言わせに来たのか君は」
 登美彦氏はムッとした。「そんなの知らないよ。おとなしくカズノコ食べてろ」
 「ぽりぽり。しかし二月頃には『有頂天家族』の続きが出るともっぱらの噂ですな」
 「かもしれん」
 「その次の『夜行』も書いているでしょう。これも今年には出るでしょう」
 「かもしれん」
 「ついに魔の十周年から解放されるときが来るわけですよ。これは2013年氏から2014年氏への、そして2014年氏から私への引継ぎ事項でしてね。本来なら2013年氏が片を付けてるはずの問題なのに」
 登美彦氏は腕組みをして言い返した。
 「しかしこういうことは、川の流れに身をまかせるかのごとく、いわば『ひとりでに為る』という感じでなくちゃ。目標を立ててガリガリ頑張るべきものではない。もう私はそういうことはできない。誰かに呪いをかけられたんだな。目標を立てても達成できないことが分かった。失望するだけであることが分かった。失望をするとやる気がなくなるだろう。やる気がなくなるのが一番悪いことだろう。だとすると、はなから目標など立てないことが一番いいのだ。今を生きる。今を生きるだ!」
 「なるほど。説得力を持たせてきましたな」
 2015年氏はトロンとした目で登美彦氏を見た。
 それから2015年氏はゴホゴホといやな咳をした。
 「どうも喉がイガイガする。カズノコのつぶつぶが喉にひっかかったかも」
 「うちのカズノコはそんなへんてこなカズノコじゃないぞ」
 「おたくのカズノコの悪口を言ってるわけではない。なにやら体調が悪いのですよ」
 「おや、2015年氏も風邪をひくのかい?」
 「どうも、なんだか熱っぽい」
 2015年氏はゴホンゴホンと咳をして、そんなことを呟いた。


 翌日の一月二日夜から登美彦氏は発熱して倒れ、続いてその妻も倒れた。
 病院が開くのを待って、這う這うの体で出かけていくと、インフルエンザであることが判明した。2015年氏のもたらした黴菌によって、夫婦そろって高熱にうなされているうちに、楽しかるべき三が日は過ぎ、盛大に祝われるべき登美彦氏の誕生日兼結婚記念日も過ぎた。
 ようやく意識が戻り始めても、なにをする元気もなく、布団の中で『聊斎志異』を読むのがやっとである。登美彦氏が第二巻を読んでいると、妻が第四巻を読みだした。
 「この『聊斎志異』というのはとても面白いですねえ」
 「すごく面白いだろう。いくら読んでも忘れてしまうのが面白い」
 「同じような話がたくさんですね」
 「たいてい貧乏な学生がいて、美人といちゃいちゃして、その美人がキツネか幽霊なんだ」
 「ステキですねえ」


 かくして――。 
 登美彦氏がようよう布団から這い出して衰弱した身体で家の中をさまよい始めたとき、すでに2015年の世の中は動き始めていた。
 「2015年に完全に遅れを取ったぞ」
 病い明けの登美彦氏は呟いた。
 「明けましておめでとうございます」