森見登美彦氏は連載を三つ終えて真っ白に燃え尽きた。
「もう書くのは当分イヤである。御免被りたいなあ!」
登美彦氏がそういう勝手なことを考えていると、本当に書けなくなってしまい、たいへん困ったことになった。
じつにしばしば、登美彦氏は困ったことになるのである。
そして「困ったことになっている」と主張しても、編集者の人というのは不思議と本気にしてくれない。「またまた森見さんったら!」と、登美彦氏が珍しく気の利いたジョークを飛ばしたみたいにあしらうのである。
これはどうしたことか?
当然の帰結として、締切次郎も不思議と本気にしてくれないのである。
登美彦氏の脚にしがみついて、つぶらな瞳に涙を溜める。
というような事態が進行している一方で、登美彦氏はサイン会に出かけた。
登美彦氏は「乙女の重圧」というものを感じた。
これは恐るべきものである。
ありがたいことにサイン会には二百人近い方々が来てくれたが、あきらかに大多数は女性であった。女性というか、乙女であった。乙女であるだけならばまだしも、美人であった。美人がぞろぞろ来て登美彦氏を威圧した。
大垣書店におけるサイン会は、森見登美彦史上、もっとも女性の多いサイン会であった。
たしかに登美彦氏は『美女と竹林』を書いた。
ほぼ竹林のことしか書かず、「美女はどこだ!」と問いつめられることが多かったが、登美彦氏はおびただしい美女の方々にサインをしながら、「美女はここにいるではないか!」と思った。
しかし、あの『太陽の塔』を書いた登美彦氏のサイン会に美女が集まったなど、信じない人間も多い。
登美彦氏もまたその一人である。
「アイドルぢゃないんだから!」
ホモソーシャルな社会で己を磨いた登美彦氏は、美女に囲まれると困るのである。
しかし登美彦氏はサイン会に集まってくれた人たちに感謝している。
おかげで淋しい思いをせずにすんだのである。
お手紙をくれた人々に感謝する。
不思議なプレゼントをくれた人々に感謝する。
しかし糺の森の「トチの実」は、どうしたらいいのか分からないので、机の隅に転がっている。中からそのうち恐い虫が這い出してくるのではないかと、登美彦氏は戦々恐々としている。
「二百人の人たちにサインするということになると、とても一人一人に丁寧に対応できない。今回も非常に慌ただしい形になってしまった。とても申し訳ないことである。大勢の人にサインをするか、少数の人に丁寧に応対するか。登美彦氏が非力であり、それを改めるつもりがないという厳然たる事実を考えると、これは解決しようのない問題である。というわけでみんな一緒に諦めましょう。同志よ!」
遅ればせながら、登美彦氏の日誌のデザインが変更されたことをお知らせする。
変更された経緯は以下のようなものだ。
某月某日、雑誌「編集会議」の取材が、株式会社はてなの会議室で行われることになった。
「はてな」はご近所である。
登美彦氏は鼻歌を歌いながら出かけ、取材を受けた。
しかし登美彦氏は自分を「うぇぶ」というものに弱い人間だと思っており、はてな氏が恐ろげな人であったら・・・たとえば脳味噌の半分はつねに外部に露出していて赤と青のコードをずるずる引っ張っており、0と1の2進法しか解さない人だったりしたらどうしよう、そんなことになったらもう赤と青のコードのどちらかを切断してやろうとさえ思っていたが、はてな氏はちゃんとした人間であった。脳味噌も剥き出しではなかった。
取材のあと、はてな氏は登美彦氏を会議室の隅に手招きした。
「森見さん。森見さんはブログを運営されてますね?」
「ありますけど・・・よくご存じですね」
「はてな、ですから」
登美彦氏は日誌をちっとも更新をしないので、恥ずかしく思った。怠惰を恥じたのではない。更新するほどの出来事がないことを恥ずかしく思ったのだ。「更新しなくてすいません」と謝った。
「そんなことはかまわないのです、ちっとも!」
はてな氏はニコニコした。
親切である。
心の友である、とさえ、登美彦氏は思った。
「ところで、森見さんのブログ、デザインを変更しませんか?お手伝いしますよ?」
はてな氏は甘い言葉を囁いた。
「では、お言葉に甘えて・・・」
登美彦氏はお言葉に甘えるのは好きなのである。
はてな氏はテキパキと、登美彦氏の漠然としたイメージを的確に反映してくれた。
かくしてデザインは変わった。
涼しげな竹林である。
登美彦氏は何も頑張ってないから、これははてな氏の功績である。
はてな氏の功績ではあるが、喜びは登美彦氏が噛みしめている。
人生は不思議である。
そして光文社の鱸氏も喜びを噛みしめている。なぜならば日誌のデザイン自体が、『美女と竹林』の宣伝になるからである。
人生は売り上げである。