「パピルス」(幻冬舎) 21号


 有頂天家族 第二部


  「有馬騒動」


 狸は温泉を好む。
 父が生きていた頃は、よく家族で電車に揺られて温泉へ出かけた。我が父は湯煙に包まれていれば上機嫌であった。新婚旅行先も温泉であったほどである。


 頭領として狸界の隅々にまで世話を焼く父にとって、年に一度か二度の温泉行は大切な息抜きだったろう。湯煙に巻いて巻かれて浩然の気を養った父は、ぬくぬくの上機嫌、口を開けば春風のように陽気な言葉が転げ出て、十八番の「狸たらし」もいよいよ冴えた。父が破顔一笑すれば、仲の良くない狸たちも笑いだし、洛中に平和がもたらされる。六甲山の麓から父の背についてきた湯煙が、京都をまるごと煙に巻く勢いであった。


 赤玉ポートワインを手みやげに如意ヶ嶽を訪ねると、赤玉先生は父の背に漂う湯煙を即座に見抜いたという。
 「有馬へ行ったな?総一郎」
 木の下に平伏していた父は顔を上げ、ニッと笑って頭を撫でる。
 「さすが如意ヶ嶽薬師坊様、お分かりですか?」
 「己の姿を鏡で見ろ」
 先生は梢で笑う。「狸気濛々だ」


 ありし日の父が狸気の源とした地、我ら下鴨家の想い出の地、豊太閤も出かけたという日本三古湯の一つ。
 それが有馬温泉である。