登美彦氏、東京へ行く。


 朝のリレー。
 編集者の綿撫さんの御母堂が目を覚まして電話をかけると綿撫さんが目を覚まし、綿撫さんが電話をかけると森見登美彦氏が目を覚ました。
 「森見さん、今すぐ東京へ来てちょうだい!おにぎりあげますから!」
 そう言われたので登美彦氏は東京へ出かけた。
 そして言われるがままに祥伝社へ出かけ、言われるがままに珈琲を飲み、言われるがままに綿撫さんの握ってくれたおにぎりを頬張って栄養をつけた。綿撫さんはその界隈で知らぬ者はないというほどのおにぎりづくりの達人であるという。
 登美彦氏は『新釈走れメロス他四篇』について、別冊文藝春秋とYahooの取材を受けたのち、「いざ!」とペンを握って会議机に向かい、日本中の書店の方々へ差し上げる色紙を60枚書いた。
 そうすると夕方になった。
 さらに登美彦氏は「いざ!」とペンを握って会議机に向かい、350冊の『新釈走れメロス他四篇』に華麗かつ平凡なサインをした。登美彦氏がサインをするそばから、祥伝社の人々が落款を押したり、検印を押したり、合紙を挟んだり、箱につめたりした。あまりにも地味な作業であったので、登美彦氏も祥伝社の人々もしばしば煙草を吸ったり、あくびをしたり、壊れた窓をうっかり押し開けて転落死しかけて命の尊さを知ったりして心を引き締めた。そして、愛の籠もったサイン本を作ることを心がけたのである。
 そうしていると夜十時になった。
 サイン本ができあがったので、彼らは神楽坂のお店で美味しいものを食べた。
 登美彦氏が料理のできないことを嘆いていると、
 窓から転落しかけて身をもって命の尊さを皆に示した編集者の人が、
 「料理が下手でも、小説が上手ければいい!」
 と言ったので、登美彦氏は「おおなんだか格好いい!」と自己弁護の材料を得た。
 しかし、登美彦氏の小説が上手いかどうかはまた別問題である。

 
 いろいろあって登美彦氏は疲れたのでホテルへ行った。
 文豪の泊まったホテルであると聞かされていたので、文豪ごっこをしようと登美彦氏は企んでいたが、たいへん疲れていたので文豪のふりをするひまもなく、ただの一般人として眠りこけてしまった。