登美彦氏、もみくちゃになる


 華麗なサインを書きすぎて疲れた腕を念入りに休めるために寝過ごした登美彦氏は、文豪の愛した朝ご飯を食べるのを忘れ、ついに文豪らしさをまったく演じることなくチェックアウトすることになった。
 ふがふがとあくびをしながら登美彦氏がロビーへ降りていくと、花嫁花婿とその関係者が嬉しげな顔をしてロビーを埋め尽くして通せんぼうをしたので、まったく難儀であったという。登美彦氏が憮然とした顔をしてくぐりぬけていくと、人々は口々に「おめでとうおめでとう」と言い、登美彦氏に握手を求めたあと、間違いに気づいて「うわっ」と言った。


 登美彦氏と編集者の綿撫さんはレストランでゴージャスな朝ご飯をもりもり食べ、乗っていた車が前転して綿撫さんが血みどろになった話などをしてから、タクシーに乗った。
 彼らは新宿の紀伊國屋本店を目指し、東京の街を滑って行った。
 風は真冬のように冷たいが、ビル街の上には呆れるばかりの青空が広がっている。
 「たいへん良いお天気ですね」
 煙草を吹かしながら登美彦氏は言った。
 「そうですね」
 煙草を吹かしながら綿撫さんも言った。
 「こりゃサインなんかしている場合ではないぞ」
 登美彦氏は言った。「読者の方々も、面白くもない私のサイン会なんかに来ている場合ではない!」
 「まあまあ」
 「綿撫さん、このままどこかに行ってしまうのは如何」
 「そんなことをしたら私がどうなるか分かってます?」


 そうして登美彦氏は紀伊國屋に到着した。
 応接間に通された登美彦氏は背広を着た立派な方々と対面して恐縮した。そしてちょこちょことと頼まれてサインをした。立派な方々にかこまれていたので、サインを求めてきた綺麗な女性とちゃんと喋れなかったのが遺憾であったと登美彦氏は関係者に述べている。やがて登美彦氏は応接室から出て、便所から脱出をはかったが便所に窓がなかった。「綿撫さんの陰謀だな!」と、登美彦氏はいささか立腹した。しかし大人なので、平然とした顔をして応接室へ戻った。


 サイン会の始まる直前のあの緊張が登美彦氏はとても苦手である。小学校時代、プールに入る前の緊張を思い出すという。
 登美彦氏が書店の一角へカチカチになって出ていくとすぐにサイン会が始まり、もうあとはめくるめく時間であった。登美彦氏の華麗かつ平凡なサインを求める人が百八十人近くもならんでいたという噂である。
 「まことにありがたいことです。そしてまことにたいへんなことです。皆様の愛が、愛が、重すぎる。It's too heavy for meデスヨ」と登美彦氏は語っている。「そして自分はなんでこんなに画数の多い名前なのか!トミヒコの画数が、画数が、多すぎる。乙一氏はなんと計画性のある人だろうか!」

 
 とにかく色々な人が来て、登美彦氏のサインを求め、そして登美彦氏と握手した。
 登美彦氏は当時の心境を以下のように語る。
 「私のふつうのサインを喜んでもらえ、さらに私のふつうの握手を喜んでもらえるのはまことに不思議千万」
 若い男性も、若い女性も、おじさんも、おばさんも、「登美彦氏の嫁になり隊」の人も、あのクリスマスイブのサイン会に登美彦氏に電動仕掛けで闇雲に歩き回るパンダをくれた人も、京都SFフェスティバル猫ラーメンについて質問した人も、『花宵道中』の宮木あや子氏も、各社の編集者の人も、手製のもちぐまを作ってくれた人も、本上まなみさんも来た。
 本上まなみさんが顔を出すと、登美彦氏はにわかに挙動不審となり、サインどころではなくなった。本上さんから差し入れのいちごをもらうと、もっと挙動不審となった。本上さんは(サイン会を中断しては悪いという理由から)そのまますうっとどこかへ行ってしまった。登美彦氏はきょろきょろしたが、綿撫さんに「森見さん!きょろきょろしない!」と叱責されたので、背筋を伸ばした。
 「あの一瞬、ちょっと気もそぞろになっていたことをお詫びしたい。あのときサインしていた方々にお詫びしたい。しかし、こればかりはもう、しょうがない!」
 登美彦氏はそう語っている。
 お詫びする気があるのかないのか分からない。


 一回の煙草休憩をはさんで、すべての方へのサインが終わるまで、約三時間が経過した。
 日頃から筋肉を鍛えている登美彦氏も、さすがに疲弊した。自分の名前が自分の名前に見えなくなるという経験をした。あやうく「森見登美子」とドコの誰だか分からない女性の名を書きかけた。頭がくらくらしてきた。
 けれども無事、サイン会は終了した。
 登美彦氏は下のように感想を述べた。
 「やはり今回も人数の多さに慌てて、そして初対面の人が苦手ということもあり、静かで無愛想なサイン会になってしまったことをお詫びしたい。本当はお一人づつ悠々と名前を書き、悠々と語らい、もてもてぶりをアピールしたいところだけれども、やっぱりそういう腰の据わった対応をするのはワタクシには難しい。来てくださった方々の中には『つまらん!地味!』と思われた方もいらっしゃるだろうが、まあ、現実というのはこんなものだ、淋しいものだと、諦めて頂ければ幸いです。どうもありがとうございました」


 その後、登美彦氏は「『新釈走れメロス他四篇』出版おめでとうの会」に出席した。
 常日頃、登美彦氏の子どもたち(『太陽の塔』『四畳半神話大系』『きつねのはなし』『夜は短し歩けよ乙女』)を育ててくれている書店員の人たちも大勢やってきた。登美彦氏は「この不甲斐ない父親は子どもたちを千尋の谷に蹴り落としたまま崖っぷちでボンヤリしているのでどうか子どもたちを宜しくお願い致します」というような挨拶をしたが、はっきり言って、しどろもどろであった。
 登美彦氏は大勢の人たちと喋り、そしてサインをした。
 会のおしまいは綿撫さんが立派なスピーチをして締めくくった。


 登美彦氏は東京駅へ行った。
 見送りには編集者の綿撫さんと、登美彦氏の同僚で東京へ転居した恩田夫妻がやってきた。恩田夫妻はナゼか引っ張りこまれた「おめでとうの会」でお酒をなめながら登美彦氏を見物していたので、若干酔っていた。
 そうして彼らは最終の新幹線の前で記念写真を撮り、京都へ戻る登美彦氏を万歳三唱で送り出した。新幹線が走り出した後も、恩田氏は新幹線を追いかけてホームを走り、感動の別れを満喫した。繰り返すが、たぶん若干酔っていたのである。


 登美彦氏が多忙な二日間を乗り越えて京都へ戻ってくると、深夜の街はひっそりとしていた。
 登美彦氏は住まいに戻って、ぐったりとした。
 そして「さてと」と言った。
 「いちごでも食べるかな!」
 そういうわけで登美彦氏はビタミンを補給し、二十四時間戦うのである。