登美彦氏、籠城を始める


 森見登美彦氏は、春の日射しも届かない地下室に籠城を始めた。
 浮き世の人々は、黄金週間には外界へ打って出て見聞を広めるというが、登美彦氏は妄想の世界へ打って出る。その孤独な作業によって、いかなる見聞が広め得るのか、登美彦氏にも分からない。ただ一つ分かっていることは、外界へ色目を使わずに地下室へ閉じ籠もってこそ、黄金週間は広大な沃野と化すということである。失われれば二度と戻らぬであろう「二十七歳の黄金週間」のいっさいを己が脳みそと指先に賭け、「黄金」の名にふさわしい成果を登美彦氏は虚空から掴みださんとする。あたかも錬金術のごとし。「晴れた日にそんな風に閉じ籠もっていては、人生を無駄にするのではあるまいか。外で遊んだ方が精神的にも肉体的にも宜しいのではないか」という極めてまっとうな指摘のいっさいを登美彦氏は却下する。慌ただしく外へ出かける人々を尻目に、登美彦氏は貝肉の化け物みたいな顔をして、地下室にうずくまっている。
 そんな状況を登美彦氏は愛す。自己憐憫ではない。阿呆で無意味で無力なシロモノに他ならない自作への、止む止まれぬ愛である。ちっこい「業」である、という。