登美彦氏、原稿を捨てて街へ出る


 己が無能に起因するインポッシブルなミッションに苦しんできた森見登美彦氏が、映画館へ入って「ミッション・インポッシブル3」を観ると、映画の中ではトム・クルーズがマジでインポッシブルなミッションに苦しんでいた。
 「彼に比べれば私のミッションなどお茶の子さいさい」
 登美彦氏はそう思おうとしたが思えなかった。
 「人間それぞれに分というものがある。この世の誰もが、日々、自分だけにインポッシブルなミッションに苦しんでいるはずである。何もバチカン市国へ潜入したり、頭に爆弾を埋め込まれて「痛いよ痛いよ」と言うばかりがインポッシブルなミッションではない。洗濯ものをきちんと分類するとか、締め切りを守るとか、原稿を直すとか、オシャレな服を売っている店に一人で入っていくとか・・・世界はインポッシブルなミッションに満ちあふれておるぞ、諸君!」
 登美彦氏はなんだか怒った。
 言うまでもなく、ハンサムなトムに八つ当たりである。


 ここしばらく、登美彦氏は書けば書くほどこんがらがってくる原稿に取り組み、己の無能を呪い散らして暮らした。
 鴨川以西でもっとも夏の似合う男、かつて乙女たちに「グッバイ夏男」と別れを告げられ続けたほどの登美彦氏が、夏の海でぴちぴちの可愛いイルカたちと戯れることも許されない。夜も更けてから、近所の自動販売機まで買い物に出かけ、神社でカルピスウォーターを一人すすりながら、「夏だなあ」と呟くだけの日々であった。
 要するに、報告する内実など何もない日々である。
 事件は机上で起こっていた。
 もうここしばらく、というよりそれよりずっと前から、物心ついた時から、事件はそうやって起こっていた。


 言うまでもないことだが、一人の人間が原稿用紙百枚分の文章を書くだけでも大した偉業だ。この分量は、登美彦氏の計算によると「夏の読書感想文」のほぼ二十年分に匹敵する。書き始める時に生まれた子が、書き終わる頃には成人する。それほど莫大な分量である。
 その上、始まりがあって終わりがなければならない。起承転結を作らねばならぬ。登場人物は魅力的であるにこしたことはない。本筋に関係のない無駄話は極力慎まねばならぬ。仕掛けた伏線は回収した方が良い。改行はきちんとせねばならぬ。句読点は打たねばならぬ。漢字を間違えてはいけない。そういったことを踏まえてなお、あわよくば面白くせねばならぬ。
 これはほとんど不可能事ではないのか。
 そういうわけで登美彦氏は、「インポッシブル」と宣うのである。


 やけくそになった登美彦氏は、こんぐらがった原稿をそのまま東京にいる編集者へ放り投げて、今日はもう頭を空っぽにする日だと心に決めた。そうして「ミッションインポッシブル3」を観た。ドンパチに次ぐドンパチ、アクションまたアクション、何を考えるひまもない。脳みそは貴船の谷水で洗われた如くスッキリした。
 だが映画を見終わってから、夏の熱気に包まれた街へ歩き出した登美彦氏は、街へ出てもすることがないことを改めて思い知らされた。あれほど何もかも忘れて部屋から外へ出たいと切望していた登美彦氏が、いざ外へ出られることになると、有り余る自由を前にして何をしてよいのか分からない。したいことは特にない。
 せめて今日ぐらいは書物からは遠ざかりたい。だが他に登美彦氏にどんな選択ができよう。映画はもう観てしまった。おしゃれなカフェに一人でぽつねんと座って何をするのか。おしゃれな服屋へ入っていって、待ちかまえる店員と何を喋ればよいのか。
 途方に暮れた登美彦氏は新京極「かねよ」へずいと入り、捨て鉢な気持ちから鰻丼の大盛りと肝吸いを頼み、店の隅で一人で猛然と喰い散らかした。そうして「おうち帰りたい」と思った。
 夕暮れの鴨川の河原へ立ち尽くし、登美彦氏はしばらく夕景を眺めて煙草を吸っていたが、やがて大声で叫んだ。
 「人恋しいー」
 さらに叫んだ。
 「つまんねー」「超つまんねー」
 (古谷実グリーンヒル1」p.100参照)


 カフェラテとピースを買って帰宅した登美彦氏を、編集者のメールが迎えた。

(注)
 小生、森見登美彦氏の日常について報告を開始した当初は、「執筆の状況」などというどうでもよいことを逐一報告するつもりはなかった。しかし日誌が続くにつれて、登美彦氏の日常があまりにも淡々としていること、および、社会へ投げかけるべき意見が皆無であることが判明し、徐々にこんな羽目になってしまった。大目に見て頂ければ幸いである。