登美彦氏、敵に囲まれる


 四方を複数の敵に囲まれる。
 不利である。


 ラオウケンシロウぐらいの力をもってすれば、それらの敵を一撃で粉砕することも可能であろう。しかし、哀しいかな、登美彦氏はラオウでもケンシロウでもない。
 ただし登美彦氏の敵は、ヨボヨボの爺さんから大切な種籾を奪う「今を生きることしか念頭にない」モヒカン野郎でもなく、南斗水鳥拳をつかってナンデモ切り刻んでしまうめちゃくちゃ強いヒトとかではない。
 氏を取り囲むのは、ようするにお仕事である。
 しかし色々なお仕事が、複数ならんで登美彦氏を取り囲むとき、氏はやみくもに彼らと取っ組み合うというような無粋なことはしない。なぜなら計画性のある聖人君子だからである。
 氏には氏のやり方がある。


 登美彦氏はおもむろに机を片づけ始める。
 「とりあえず机の上がきれいにならなければ意欲も湧かぬ」
 氏はそう言う。
 次の日、本棚から溢れだした本の整理を始める。
 「好きな本が好きなところにないと集中できぬ」
 次の日、氏は出版社から送られてきた雑誌類を整理する。
 「せっかくもらったものだから無粋に積み上げてるだけではいかん」
 次の日、氏は長らく切れていたトイレの電球を取り替える。
 「便所が真っ暗だと出るものも出ない」
 光を取り戻したトイレはありのままの姿をおしげもなく登美彦氏の目前にさらし、氏の心胆を寒からしめる。それゆえに、登美彦氏はトイレを磨き上げることを余儀なくされる。


 次の日、登美彦氏はトイレクイックルや洗剤などを買いに行く。
 次の日、登美彦氏は台所のまわりを磨き上げる。
 次の日、登美彦氏は積み上がった段ボールを砕いて捨てる。
 次の日、登美彦氏は掃除機をかけて、雑巾をかける。


 現在、登美彦氏の地下書斎は未曾有の美しさを誇る。
 いっさいがあるべき場所におさまっている。
 買いそろえた文房具たちは、氏の活躍を息を呑んで待っている。
 それなのに、登美彦氏はまだ片づける場所を探している。


 部屋が整頓されればされるほど、仕事は混沌の度合いを増す。仕事が整頓されればされるほど、部屋は混沌の度合いを増す。
 「熱力学の法則は情け容赦なくすべてを支配する」
 登美彦氏はなんとなくそう言っている。