登美彦氏、飲む。


 夜。
 森見登美彦氏はアゼルバイジャン出身の紳士に誘われて、お酒を飲みに出かけた。アゼルバイジャンがどこにあるのか、氏は知らない。アゼルバイジャン氏は、江南で買ったというマウンテンバイクにまたがって颯爽と現れた。アゼルバイジャン氏はそのマウンテンバイクで世界を股にかける人物だという。


 ちなみに登美彦氏は酒を飲む人をよく自作に登場させるが、自身はあまり嗜まない。麦酒一杯以上の酒は、じつにしばしば、氏の頭をきりきりと痛ませるからである。もっと飲んだ場合は、せっかく食べたものを大地へ返さねばならぬ。
 氏は酒というものを、物質的というよりも、精神的なものとしてとらえる。そして、エチルアルコールを燃料にして幻想の荒野を駆けてゆく人々を見送るのを好むのである(彼らがこちらへ突進してくると、氏は瞬く間に逃げ去る)。


 登美彦氏が迷い込んだ「スナック」では奇妙な連帯感を抱く常連方が居座り、目前の水割りは自動的に注ぎ足され、カラオケが歌われ、拍手が起こった。登美彦氏はカウンターにいた見も知らぬ紳士に「君だから話すが」と風変わりな打ち明け話をされ、似顔絵を描かれそうになり、達磨をもてあそび、鯉のぼりを飛ばし、水割りを飲み干し、酔っぱらった。そうして氏は「22才の別れ」を歌って、22才の時の哀しい別れを思い出した。


 夜も更けたので登美彦氏は、いざ帰宅せんとした。
 「母が待っているので」と氏はアゼルバイジャン氏に言った。
 「マダ、ヨルハ、ハジマッテモイナイノニ!アナタハ、イワユル、マザコンデスカ?」
 アゼルバイジャン氏は流暢な日本語で非難した。
 登美彦氏はマフラーを巻きながら答えた。
 「そうなのです、マザコンです。すいませんが、お先に失礼します」


 そして登美彦氏は帰宅した。
 氏は翌日に備えてぐっすり眠った。