登美彦氏、正月を厳粛に満喫する


 登美彦氏は郷里へ戻り、相棒の柴犬「小梅」とともに寝正月を満喫した模様である。


 登美彦氏は二○○六年を実り多き年とするために、二○○五年になした数々の事柄を整理し、二○○六年になすべき事柄を一覧表にしなければならぬと決意していたが、寝るのに忙しくて、そのようなことをしている閑がなかった。現在のところ、氏が目前に掲げている目標は、「二○○六年を実り多き年とするために、二○○五年になした数々の事柄を整理し、二○○六年になすべき事柄を一覧表にする」である。
 「これは非常に重要かつ面倒臭い仕事であるから、おそらく今年前半はこの作業に忙殺されることになるであろう」と登美彦氏は述べた。「あるいは今年いっぱいかかるかもしれない。やむをえないことである」


 本日より、登美彦氏は京都の巣へ舞い戻り、自堕落な生活と勤勉な仕事を両立させるという困難な事業に着手した。


 ついでに。
 初詣に出かけた先で、氏はおみくじを引いた。
 待人はおそく、訴訟は叶いがたい。そして失物は結局出ないらしいことを氏は知った。失われた青春が今年こそは出るかと身構えていた氏は出鼻を挫かれた形である。
 登美彦氏は神様の言葉をさらに読んだ。
 「自分のあやまちを知り、これを改め、心を正せば、やがて幸せは来る」
 こんなことが書いてあった。
 登美彦氏は「そんなばかなことがあるか」と神に異議を申し立てた。
 「これ以上、いったい何を改めろというのだ!」


 認めなければならぬあやまちに目をつぶり、改めるべきところを改めず、登美彦氏は今年も雄々しく歩いていく。幸せになりたくないわけではない。
 「己を改めて得た幸せなど、所詮はまがい物である」
 登美彦氏は年始の挨拶をこのように締めくくった。
 「一切合切このまんま、幸せにならねば意味がない」

 ここを読んでくださる数少ない皆様にとって、二○○六年が良い年でありますように。本年も宜しくお願い致します。(森見登美彦)