背筋を鍛えない登美彦氏


 森見登美彦氏は新京極のLOFTへ出かけた。


 かつては「ええじゃないか騒動」を起こしたにせよ、氏はクリスマス迫る街へ出ても、もはや何ら痛痒を感じない。というよりも傷ついたこともない。クリスマスは大好きである。むしろ愛していると言っていい。
 したがって氏にとって、LOFTで仲良く品物を見て廻る男女を微笑んで見守ることも可能である。可能であるということは、あくまでやろうと思えばできるということであって、実際に行為に及ぶことと同義ではない。そういうことを氏は戦友のブログから学んだ。
 繰り返すが、氏はむしろクリスマスは大好きである。「さあ来い、大人のためのサンタクロース」と意味不明の言葉を口走っている現場を関係者におさえられたことがある。その意味を正確に述べるように迫られた氏は、断固として黙秘した。
 LOFTにおいて、氏はメモ帳を買った。氏はたくさんメモ帳を買い、そしてしばしば、それを愛でるだけで使わない。氏には、美しいメモ帳はただそこにあるだけで良いと思っているところがある。ちょうどある種の神に選ばれた人がそうであるように。このことから、氏はメモ帳を甘やかしすぎるきらいがあることが分かる。


 今宵、登美彦氏はせっせと書き物をしていた。
 そして自分の能力に大きく疑問符をつけた。氏は自分の能力に疑問符をつけるのには長けていると自負していた。なけなしの才能を燃焼させるべく、バルザックのように珈琲を飲んでいたが、やがて飲み過ぎて気持ちが悪くなったらしく、万年床の上に枯れ草のように横たわった。
 登美彦氏は「どうやら俺はフクザツなことは書けないらしいぞ」と呟いた。「百枚分というのはこんなに長かったっけ、コンチクショウ」とも呟いた。
 布団の上で寝たままでできる運動を考えた。
 そして背筋を鍛えようとしたが、苦しいのでやめてしまった。
 「背筋を鍛えるよりも書いている方が楽ではないか」と氏は呟いた。「いや、どっちもどっちかもしれん」
 ふいに氏は怒り心頭に発した。
 「というよりもどっちも願い下げだ!」


 とりあえず氏は、今の書き物が終わったらすべき用事をメモ帳に書いてみた。こうしてしなければならぬことを明確にし、システマティックに日々を乗り切っていくことが、「デキる男」への第一歩なのであると氏は考えた。
 用事リストの一番目は「ハリーポッターと炎のゴブレットを観る」であった。