登美彦氏、本屋大賞授賞式へおもむく

 
 あんまり机上で妄想ばかりしているのも身体に悪いと主治医から言われたので、登美彦氏は本屋大賞の授賞式へ出かけることにした。
 登美彦氏の目的は以下の二点である。

  一、万城目学氏を「ちょっと手加減して」殴ること
  二、美味しいものを食べること


 東京駅から編集者の小囃子氏と一緒に歩いていくと、明治記念館というたいそう立派な建物がたっていた。
 中へずんずん入って受付へ行くと、図書カードがもらえたので、登美彦氏は私腹を肥やした。 
 授賞式の会場は大勢の人でごった返している。テレビカメラなどもならんでいて、たいへんな大騒ぎである。登美彦氏はその間をすり抜けて、「本屋大賞ノミネートの人々」が集まる席へ向かった。
 その途中で万城目学氏が立っていたので、ちょっと手加減して殴った。
 万城目学氏は「思いのほか痛い」と呻いた。それから「あとでサインを頂戴致したく」と言った。
 登美彦氏はそのままお喋りもせずに去る。
 登美彦氏にとって、初対面早々人間を殴ったのは生まれて初めてのことだったが、一つ目の目的は果たされたのである。


 大森望氏がふわっと現れた。登美彦氏はなんだか舞い上がっていたので、『新釈走れメロス』の書評を書いてもらったお礼の言葉を述べるのを忘れるという失策をおかした。「ありがとうございました」と登美彦氏は今になって述べているが、明らかに手遅れである。この馬鹿野郎。
 登美彦氏は自著を紹介してくれた松田哲夫氏にもお礼を言いに行った。その際、松田哲夫氏から「万城目学氏の『大事な人』が登美彦氏の作品をあんまり好いていない」というかぎりなく微妙な情報を入手することに成功した。
 登美彦氏は本屋大賞をもらわなかったので、大賞に輝いた佐藤多佳子氏に「おめでとうございます」と心の中でお祝いの言葉を述べ、登場したリリー・フランキー氏に「『女子の生きざま』、大好きです」と心の中で述べた。しかし声をかけるのは気が引けたので、かたくなに沈黙を守った。


 登美彦氏が壁の花を気取っていると、やがて大勢の人がやってきた。
 知っている人もいたし、知らない人もいた。知っている人なのに知らない人だと思い違いしたり、知らない人なのに知っているような気がしたりする人もいた。ようするに登美彦氏はもうわけがわからなくなっていたのである。登美彦氏は名刺を受け取っては、「ありがとうございます」と言い、お辞儀をした。その合間に編集者の人から思わず逃げてしまったりした。だんだん壁が背中へ迫ってきて、あわや押し花にされる!というあたりで、だんだんまわりの人々は登美彦氏に興味を失い、人垣がまばらになり、穏やかな感じになった。そして穏やかな感じになったときにはすでに一切は手遅れであった。会場に用意された食べ物はあとかたもなく消えていた。
 「無念である!」と登美彦氏は述べている。
 登美彦氏は二つ目の目的を果たしそこねたのである。


 登美彦氏はそのまま帰ろうと思っていたが、万城目氏が「サインを頂戴いたしたく」と言った。
 万城目氏は登美彦氏の本を三冊、テーブルの上へならべた。登美彦氏は、万城目氏と、万城目氏の御母堂と、万城目氏の「大事な人」のためにサインをした。
 編集者の人々が、「おお、これはレアだ」と口々に言ってその状況を写真を撮ったが、レアなだけで価値があるとは言い難い。それならば登美彦氏の鼻毛を植えたメモ帳でさえ価値があるはずだ(レアだから)。
 登美彦氏はサインをしているうちにムラムラしてきた。
 欲情したのではなく、腹が立ってきたのである。
 登美彦氏は万城目氏の「大事な人」が登美彦氏の作品を好いていない、という事実を指摘したが、万城目氏は「なんのことか」とはぐらかした。「そんなことはない」
 「そのあたりの繊細な問題を放置しておくと、のちのち困るかも!」
 登美彦氏は万城目氏にとって縁起でもないことを心中で呟き、氏のほっぺたの感触を反芻した。思いのほか、柔らかかった。
 万城目氏はすぐ発売になる次作『鹿男あをによし』に黄金色のサインをして登美彦氏にくれた。


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 すべてが終わったあと、登美彦氏は以下の方程式が成り立つことに気づいたという。

 
  登美彦氏のサイン3冊 = 万城目氏のサイン1冊


   ∴ 登美彦氏×3=万城目氏
   ∴ 登美彦氏=万城目氏×1/3


 この時点に至ってようやく登美彦氏は、「図られた!」と気づいた。
 しかし手遅れであった。
 万城目氏は怪しい笑みを浮かべながら、登美彦氏のサイン本を握って姿を消した。


 そういう風な感じで、思いがけず心に傷を負った登美彦氏は、そのあと小さなお祝いの席に出た。集まってくれた人々が登美彦氏にお祝いの言葉を述べたので登美彦氏はありがたく思った。
 散会後、八重洲のホテルへ辿り着いた登美彦氏は、深夜二時まで麦酒を飲みながら、小囃子氏といろいろな悪だくみをした。そうして二人でフッフッフと怪しく笑った。笑ってみただけで他意はなかった。
 小囃子氏が麦酒を飲み干して去った後、登美彦氏はお祝いの席で贈られた「まなみ帖」というものを広げた。それは書店員の方々の寄せ書きやポップが貼り込まれた和綴じの帳面である。
 あんまりありがたかったので、さすがの登美彦氏も落涙しかけたという噂だ。
 あくまで噂である。