このところ、森見登美彦氏は奮闘している。
仕事をしている。
とはいえ、締切次郎とは睨み合っていない。
およそ一年前に召還された締切太郎によって、
登美彦氏の息の根を止めかけていた締切次郎たちは駆逐された。
あのつぶらな瞳をした小太りのオッサンたちを懐かしく思うか、と問われれば、
「懐かしい」というのが登美彦氏の本音であるようだ。
しかし締切太郎を召還するという禁断の秘技は、
一生に一度使えばじゅうぶんである。
同じことを繰り返さぬように、じゅうぶん用心する必要がある。
なにしろ何もかもが、のちのちとナマケモノのようにユックリ進む。
登美彦氏の机上における努力は、まだ実を結ばない。
だから今年は淋しい一年である。
そんな一年を少しでも明るくする話題として、
『宵山万華鏡』の小型化を登美彦氏は喜んでいる。
登美彦氏は子どもの頃、裏山の和尚さんとケンカをした。
そして「実益のないことしか語ることができない」呪いをかけられ、
登美彦氏はその呪われた道を前向きに生きることに決めた。
そういうわけで天狗に通信教育を乞い、狸たちと手を結び、
京都を偽造することに精を出してきた。
『宵山万華鏡』もその活動の一つである。
この本で、登美彦氏は「祇園祭」を偽造しようとした。
(正確には祇園祭の一部「宵山」である)
もうすぐ祇園祭の季節である。
この小さな本は、本物の祇園祭を見物する際には無益である。
しかし、偽祇園祭を見物する際には役立つかもしれない。