登美彦氏、本上まなみさんと対面する。


 京都ひきこもり作家森見登美彦氏は、ぶらりと東京へ出かけた。
 東京は雨であった。
 登美彦氏は傘を持っていなかったので、目黒駅から編集者の小囃子氏と相合い傘で歩いた。
 道々、登美彦氏の顔色はどんどん悪くなり、足どりは鈍くなった。「もうだめだ。絶対にだめだ」と氏は言った。「とてもお会いできない。お会いしても、なにをどうすればいいか分からない。いったいこのワタクシになにを喋れと!」
 「まあまあ、森見さん。落ち着いて」
 「だいたいこれを目標にがんばってきたのに、ここで願いが叶ってしまえば、私は今後いったい何を目標に生きていけばいいのだ。いや、願いが叶ったとたんに死ぬかもしれない。座敷に血反吐をはいて死ぬかもしれない。目の前で死んだりしては本上さんに申し訳ない。だからここで帰ろう。もう帰ろう」
 「まあまあ、森見さん。死にはしませんって。ほかにも人生の目標はいろいろありますよ」
 小囃子氏は対談へ向かう登美彦氏の写真を撮った。
 そして「ドキュメントです」と言った。


 撮影は古いお屋敷で行われるという。
 登美彦氏は冷え冷えとする台所で煙草を灰にした。
 椅子に腰掛け、ヒーターにあたりながら登美彦氏はぶつぶつ言う。
 「廊下ですれ違うぐらいが私の器にちょうど良かったのだ。野性時代の特集企画も、『森見登美彦氏、本上まなみさんとそこらへんの廊下ですれ違ったっぽい』でよかったのだ」
 「そんなものをどうやって企画にするのですか」と編集者の華猫氏が言った。
 「だいたいまだ用意ができていないのだ。もっと器を大きくしてからだ。そうとも!」
 「どのぐらい大きければいいんです」
 「少なくとも十年は必要だ。十年たてば私も少しは」
 「そんなに待てますか!」
 怖じ気づいた登美彦氏は、初対面の編集者の人に「なにを喋ればいいんですかね?」と相談をもちかけたりした。その惑乱ぶりは目に余るものがあったという。そして登美彦氏はその後も、ことあるごとに対談場所の座敷と便所と台所を行き来し、落ち着きがないことこの上なかった。あまつさえ「お腹がすいた」と言って食事に行こうとさえした。


 やがて支度ができてしまったというので、登美彦氏は座敷へ行った。
 登美彦氏はてっきり先に行って相手の登場を待つものだと思っていたらしく、座敷をのぞいたら目の前に本上まなみさんが座っていたので、びっくりした。本上氏は登美彦氏を見て「あ!」と言った。登美彦氏も「あ!」と言った。そしてそのまま後ずさりしたが、しかし逃げ場所もないので、「どうもどうもはじめまして森見です」と言った。本上氏は「本上です」と言って笑った。


 登美彦氏がこっそり外堀を埋めていたということは、すでに某機関の調査によって明らかになっている。文庫本の解説を依頼した後、さらに著書を献呈していたという手口はかなり悪質なものだ。しかしこれらの事実を登美彦氏は頑強に否定している。
 「末娘が活躍しているからといって、登美彦氏は少々イイ気になっているのではないですか。親のあなたがしゃしゃり出て、青春時代の総決算をする権利はないのではないですか」という意見をつきつける人もあった。「誌面はあなただけのものではないのだ。そんな風にニヤニヤして!職権乱用もいいところだ!売れっ子気取りもたいがいにしろ!」
 「ごもっとも、ごもっともです!」
 登美彦氏は叫んだ。
 「しかし、もう、こればっかりは・・・今回だけは大目に見てくれ!一生のお願いだ!」

 
 まるで座敷妖怪のように座敷の隅にならぶ関係者に見守られ、登美彦氏は本上氏と対談した。
 対談なのに登美彦氏が黙しがちだったのは嘆かわしいことであるうえに、本上氏にも失礼である。少し時間がたって舌が動くようになってからも、登美彦氏は言わねばならぬことを言い落とし、言わんでいいことばかり言ってのけた(この点については登美彦氏もいろいろと後悔していると述べている)。
 編集者の人たちは妙に面白がっている風があり、登美彦氏は「けしからん!」と呟いた。「ありがたいことだが、けしからん!」
 さらに登美彦氏は本上氏と一つの写真におさまった。登美彦氏は自分の写真は無用ではないかと思ったけれども、しかし喋った証拠が残らないので、やはり写真には写らねばならないと考え直したという。


 対談における登美彦氏はぐにゃぐにゃであり、本上氏に「女の子も本当はいろいろ考えているんですよ。妄想もするし、人には見せられない格好でぐだぐだしたりもするんですよ」と優しくダメだしされても、ダメだしされているという状況にすでに喜んでいるという、人間としてもう救いようがない状態に陥っていたという。見るに見かねた編集者の人たちは、「まあこれはこれでいいか」と思ったという。


 登美彦氏は本上氏の『太陽の塔』にサインをし、そして自分の手帳を広げて本上氏に黄金のサインをしてもらった。「サイン一画は金一粒!」と登美彦氏はわけの分からないことを言っている。登美彦氏は自宅にあった数匹のもちぐまのうち、一匹を本上氏のお宅へ里子に出すことにした。そして絵本『ラ・タ・タ・タム』を贈った。
 贈った意図について、「本上さんが24時間営業の母親業を営むにあたり、有効活用して頂ければ幸いである」と登美彦氏は述べている。


 対談を終えて、登美彦氏は以下のように述べた。
 「プレゼントを贈ることもでき、文庫本解説のお礼を述べることもでき、私としてはたいへんよくできた。私の寡黙ぶりが発揮され、対談として成立させるのは難しいかもしれないが、そこは編集者の人が工夫してくれることであろうと思う。多少、嘘でもいい。ほとんど嘘でもいい。しかし対談の席で言えなかったことを言っておく。とにかく、大学時代の四年間を通して、本上さんは憧れの人であった。子ども時代に染みついた記憶は特別であるように、あの四畳半時代に染みついた記憶もまた特別である。それはもはや自分の意志で書き換えることができるものではないし、書き換えるつもりもない。現在の私は本上さんの活躍を逐一追っているという人間ではないけれども、本上さんがどこかで活躍されていることを嬉しく思い、そして深く満足する。職権を乱用して本上さんとお会いすることは、作家になった瞬間、あるいは作家になれるよりも以前から、絶えず私が目指してきた目標であった。向かうところを失った私はもはや自由自在であり、どこへなりとも行ける。ふらふらと気まぐれに駆けていった先で、またばったり本上さんとお会いできることを祈るものである」


 かくして登美彦氏はこっそり作成している年表に、次の一文を書き加えた。
 「二○○七年二月二十日 本上まなみさんと対談」
 後世の登美彦氏研究家は「この日を境に目標を見失った森見登美彦氏の迷走が始まった」と書くだろう。
 「ただしかし、迷走するその顔は妙に嬉しげであった」と。


 
 (注)
 この対談の様子は野性時代4月号に掲載される。
 「登美彦氏め、にやにやと職権乱用して!そのくせほとんど喋れてないじゃん!」と思う人は読まない方が無難である。