「きつねのはなし」(新潮社)(10月31日発売)


きつねのはなし


第一話「きつねのはなし」

 
 天城さんは鷺森神社の近くに住んでいた。
 長い坂の上にある古い屋敷で、裏手にはみっしりと詰まった常暗い竹林があり、竹の葉が擦れる音が絶えず聞こえていた。芳蓮堂の使いで初めて天城さんの屋敷を訪ねたのは晩秋の風が強い日で、夕闇に沈み始めた竹林が生き物のように蠢いていたのを思い出す。薄暗い中に立つ竹が巨大な骨のように見えた。
 私はナツメさんに渡された風呂敷包みを脇に抱えて、立派な屋根つきの門をくぐった。前もって言われていた通り庭にまわり、沓脱ぎの前に立って声をかけると、暗い奥から天城さんが出てきた。群青色の着流し姿で、眠そうな顔をしていた。寝ていたのだろうと思った。細長い顔には生気がなく、青い無精髭がうっすらと顎を覆っていた。
 「芳蓮堂から参りました」
 私は低頭した。
 「ごくろうさん」
 天城さんは憮然とした顔をして、私を奥に案内した。
 屋敷の中はどこまでも暗い。天城さんはあまり明かりを好かないということを後になって知った。長く冷たい廊下をひたひたと歩いて、伏せていた眼を上げると、天城さんの着流しの袖からのぞく骨張った手首の白さだけが、闇に浮かぶように見えた。