登美彦氏、喋りに出かける


 森見登美彦氏は電車にガタンゴトンと揺られて、出かけた。


 車中にて島尾敏雄『死の棘』(新潮文庫)を読みふけった登美彦氏は、もうなんだか暗澹たる気分になり、息も絶え絶えであった。頭はガンガンして、身体はグッタリしていた。
 「『逆境ナイン』とかを読めばよかった!」
 登美彦氏はいたく後悔したが、あとのおまつりであった。
 そして登美彦氏は中央線に乗ったり総武線に乗ったりした。
 飯田橋はなんだか田舎の駅みたいな風情があったので、登美彦氏はとても気に入った。
 「なにやら少し肌寒いのう・・・秋じゃのう・・・」
 登美彦氏がぷらぷらと歩いていくと、道に立っていた古囃子氏がこちらへ手を振った。古囃子氏のとなりにあるのが角川書店であった。


 編集者の古囃子氏と華猫氏に会った登美彦氏は、ようやく野性時代の連作が完結したことを喜び合う。
 「どうです。『ハチミツとクローバー』と『スーパーマンリターンズ』の成分が、ちゃんと入っておったでしょう。言った通りであろう。右から左へ、この自転車操業ぶりを御覧じろ!」
 登美彦氏は威張った。「参ったか!」
 「誰も頼んでませんがな・・・」
 そういうことを言っているうちに、時間が来た。


 登美彦氏がお喋りをするお相手は大森望氏という人であった。
 劇団ひとり氏と喋った時ほど登美彦氏が緊張しなかったのは、大森望氏をナメてかかっているというわけでは断じてない。出身大学が同じで、共通の話題があったからである。さらにファンタジーノベル大賞の授賞式で、一度だけ会ったことがあったからである。さらに大森望氏は、ことあるごとに登美彦氏の作品を好意的に紹介してくれた人だったからである。
 ただし、大森望氏は登美彦氏の作品に対して特殊な、極めて特殊な、ほとんど「これは我が青春だ」というような思い入れを持っているため、たとえ彼が登美彦氏の作品を誉めたとしても簡単には信用できない。「その点、極めて遺憾である」と登美彦氏は述べている。
 会議室にて交わされた会話の内容は不明である。
 おそらく、角川書店本の旅人」十二月号で明らかにされるであろう。
 今回のお喋りは、十一月末に出版される『夜は短し歩けよ乙女』の宣伝のためである。「緊張しなかったというわりには、やっぱり喋るのはダメだった」という説もある。


 大森望氏とのお話が終わった後、登美彦氏は野性時代の華猫氏からインタビューを受けた。これまた何を喋ったものか、登美彦氏はさっぱり覚えていないが、「作者おすすめの箇所は?」と訊かれて、「ぜんぶ」と言ったような気がしてならないという。
 そして長いお喋りが終わると、もう日が暮れていたので、登美彦氏は大森望氏、古囃子氏、華猫氏と四人で晩ご飯を食べた。くるくると姿を変える折田先生像の映像を見たりした。古囃子氏は登美彦氏のやる気を盛り上げようと、「森見さん。夢は大きく果てしなく!百万部ですよ!スターダムですよ!」と叫んだ。「夢はその百分の一ぐらいしか叶わないんですから!」
 大森望氏は「森見登美彦原理主義者たちが、『四畳半神話大系』のハッピーエンドを読んで怒りに震え、裏切り者を始末してやれと息巻いているから、身辺に注意したほうがいい」と述べた。
 「おお!そんな心の狭いことを言ってはイケマセン」
 登美彦氏は述べた。
 登美彦氏は、いざ裏切れるとなればいつでも裏切る臨戦態勢の男として有名である。いつでも抜け駆けできるよう、「張りつめた弓」のごとく緊張している。


 そして登美彦氏は帰宅した。
 登美彦氏は以下のように語った。
 「大森望氏には『夜は短し歩けよ乙女』のみでなく、新潮社から十月末に刊行される『きつねのはなし』も読んで頂いた。正直なところ、笑いを排して書いた作品について面と向かって語られると、恥ずかしさのあまり逃げ去りたくなるが、それでもありがたいことであった。それにしても・・・私はグウタラ読書家なので、大森氏がいったい一年にどれだけ本を読まれるのだろうと想像しただけで頭がクラクラする。くれぐれもお身体をお大事に」