登美彦氏、パニックとなる


 「やつが出た!黒いやつが出た!」
 登美彦氏は叫んだ。


 森見登美彦氏はおのれの小説の中で、某キューブやら鴨川を南下する蛾の大群などを描いて、無類の昆虫王国好きと思われがちであるが、実際のところは昆虫を憎むこと甚だしい、「地球で一番エラいのは人間」主義者のシティボーイである。それも「ムカデは嫌い、ゲジゲジも」といったような選り好みはせず、この地球上に存在する「昆虫」と呼ばれるもの一切を嫌悪する。登美彦氏も思慮分別のある大人であるから、生態系のことを考えればそんなことを言ってはいけないと反省しつつ、それでもなお、昆虫はいっそすべて死に絶えればいいと思っている。


 「勘弁してくれ。なんでやつはあんな速度で動くのだ。なんでやつは人の部屋へ、何の断りもなく入ってくるのだ」
 登美彦氏は半泣きになっている。 
 暗い地下室はテムズの川霧のごとく、噴霧した殺虫剤が漂っている。


 死闘数分、やつは仰向けになって昇天した。