森見登美彦氏はつねに鍛錬をおこたらない。
己を鍛えるためには、つねに逆境にその身を置くことが必要だ。キビシイ逆境に立ち向かってこそ、ふぬけた魂は錬磨され、美しく強くなる。内なる充実は外貌に変革をもたらし、ひいては麗しい女人たちに神経が衰弱するほどきゃあきゃあ言われることウケアイである。
「仕事?締め切り?そんなものは逆境とも言えまい」
登美彦氏は鼻で笑った。
「自分を鍛えるためには、さらなる困難が必要だ。私はもっと強大な敵を欲している。我が偉大さは、我が敵の大きさによって決まる」
かくして登美彦氏は、プレイステーション2を買った。次のゲーム機の噂が出る頃に、ようやく追いつくのが氏の流儀だ。
「それだけはいけないわ、登美彦さん!」
登美彦氏の身を気遣ってくれる親切な女性は言った。
「締め切りをやっつけながら、煙草をもうもうと吸って、あまつさえカラアゲ弁当を喰い散らし、そのうえゲームをするなんて!貴方はきっと死んでしまうわ!」
「止めてくださるな。私は行かねばならない。戦うべき時が来たのです」
登美彦氏はそう言って、心優しき女性に背を向けた。
「もどってきて!」
彼女は寺町通の路上に立ち、去ってゆく登美彦氏の背中へ叫んだ。
氏は振り返らなかった。
振り返る必要がなかった。
なぜならそんな人はいなかったからだ。
登美彦氏は書き物をしながら、部屋の隅で不気味な光芒を放つ面白そうな電気製品を睨んでいる。
打ち倒すべき敵の大きさに、氏は間歇的な武者震いを繰り返している。
そして言うまでもなく、書き物はつねに難航中である。