「たべるのがおそい」という不思議な名前の本があるという。
日本ファンタジーノベル大賞の先輩である西崎憲さんから依頼があり、
「わがままに書けばいいと思うよ!」
ということであったので、
「なるほど。それならわがままに書こう!」
と登美彦氏がわがままに書いたのは、どこかにあるという「妖精の国」へ帰還した妻の行方を追って、へなへな小説家やへなへな探偵やノラパカ(野良のアルパカ)が、奈良盆地の底でモゾモゾする小さな小説である。
「じつはわたくしはチーズかまぼこの妖精であったのです。あなたに正体を知られたからには、こうして一緒に暮らしているわけにはまいりません。さようなら――ぺっこり四十五度」
妻が唐突にそんなことを言いだし、某芸人の一発ギャグ風にお辞儀をしてベランダから飛び立ったのは、梅雨明けの青空が広がる夏の朝のことであった。ベーコンエッグを食べていた僕はたいへん驚き、食べかけのエッグもそのままにベランダへ飛びだした。
しかし妻の姿はもう眩しい夏空の彼方にあった。くっきりと浮かぶ入道雲のとなりに、足の小指の爪みたいに小さな姿が見えるだけだった。あっけにとられていると、眼下の街路樹からジェイジェイジェイとクマゼミの声が湧き上がってきたのである。
「これはたいへんなことになった」
と僕は思ったわけである。