森見登美彦氏は最近、こういう小説を読んだ。
ときどき登美彦氏は、書店で平積みされている本を読み、
アップトゥデートなジェントルマンになろうとこころみる。
たいてい無駄な努力に終わる。
登美彦氏はこの小説をグイグイと読まされてしまい、
その結果、頭が熱気でパツンパツンになり、疲労困憊した。
「おもしろいのは良いことだが、まったくしんどいことだ!」
登美彦氏は喘いだ。
登美彦氏、曰く―
あんまりおもしろい小説というのも考えものである。
徹夜で読まなくてはならなくなったり、
手に汗を握らされたり、
はらはらさせられたり、
現実に戻ってくるのに苦労したり、
とにかく身体に毒である。
つまり、あるていどのおもしろくなさを混ぜるほうが、
読者に親切ではなかろうか。
なぜおもしろさばかりを讃えるのか。
おもしろくなさをこそ讃えなくてはならない。
なぜなら人生なによりも健康が大切だから。
健康第一。
健康第一。
これは果たして真実であるか?
筆者邪推して曰く―
これは登美彦氏が、
「自分の書いたものがテンデおもしろくない」という事態に備え、
あらかじめ逃げを打っているのである。
登美彦氏は言うだろう。
「作品がおもしろくないのはおもしろくないように書いたからである」
「意図的におもしろくなさを混ぜることによって、読者の健康増進をはかったのである」
「おもしろさなど二の次だ。読者の健康が第一である」
「読者の健康にも配慮する森見登美彦です」
「なむなむ」
読者はくれぐれも騙されてはならない。