森見登美彦氏は、どっこい生きている。
登美彦氏はつい先日まで、ふいに息が苦しくなることがあった。
心臓がへんな動きをすることもあった。
登美彦氏の身体に問題はないようである。
しかしそう言われても、怖いものは怖い。
怖い怖いと思いながら我慢しているうちに、
息が苦しくなったり、心臓が止まりそうになったりすることは減ってきた。
しんどくて目が覚めることもなくなってきた。
けれども、まだ頭がぐらぐらしたり、身体が痛かったりする。
それらを登美彦氏はお薬と運動でごまかしている。
登美彦氏は毎日が日曜日である。
なぜ毎日が日曜日であるかというと、小説の書き方が分からなくなったからである。
もともと大して分かっていたわけではないが、いよいよ本格的に分からなくなった。
「うーむ」
登美彦氏は机の前で腕組みをする。
ちょこちょこと書いてみるが、すぐ投げ出してしまう。
まるで「小説」を書いてるような気がするからである。
「待ちたまえ、そもそもキミは小説を書いているのではないかね?」
と言う人があるかもしれない。
それはちょっと間違っている。
これまでは「小説みたいなもの」をへろへろと書いていたら、
いつの間にか「小説」になっていたのである。
それがアタマから小説になってしまってはお話にならない。
どこに工夫の余地があるのか。
「しょうむな!」
登美彦氏はウンザリしてしまう。
体調が悪いから小説が書けないのか、
小説が書けないから体調が悪いのか、
小説を書きたくないから体調が悪いのか、
それともぜんぶいっしょくたになっているのか、
登美彦氏には何にも分からない。
小説の書き方が分からなくなった小説家というのは、何もすることがない。
だから、図書館で借りてきた岩波少年文庫を読み耽ったりする。
家の近所を探検したり、旅に出たりする。
ときどき京都の秘密基地へ出かけていく。
アニメの「化物語」を延々と観たり、山本周五郎を読んで涙したり、
同じ研究室出身の友人たちと西洋料理店でお酒を飲んだりする。
そうして夜遊びしているところをKBS京都の人に発見されて、
ラジオに出ませんかと言われたりする。
しかしおおむね、何も作り出していない。
読者の人、とりわけ親切な読者の人たちは気に掛けてくれている。
「登美彦氏のヤツ、いま何をしてるんだろう?」
だから、
「登美彦氏は生きている」
という情報を発信しておく次第である。
毎日が日曜日ではあるとはいえ、
登美彦氏も小さな仕事はしている。
『旅と鉄道』5月号(朝日新聞出版)に登美彦氏が登場している。
ふはふはした旅の記録である。
この旅に同行した朝日新聞出版の担当編集者は、
登美彦氏の次作『聖なる怠け者の冒険』の出版という任務を帯びている。
この小説は、かつて朝日新聞の夕刊に連載されたが、
書き直しが終わらないうちは出版できない。
たとえ登美彦氏が出版を許しても、お天道様が許さない。
そして担当編集者は登美彦氏の巻き添えを食って地獄を巡ることになった。
書き直しても書き直しても書き直し。
駄目な小説を書いた作家が死んだあとに行く地獄というのは、
そういうところではなかろうか。
「まさか、もう自分は死んでいるのではあるまいな」
この『旅と鉄道』を読んでくれる読者の人は、
「編集者は作家と旅をするだけでいいから暢気だなア」
と決めつけないでいただければ幸いである。
迷走する原稿をめぐる腹の探り合いは巧みに隠蔽されている。
彼らは鉄道に乗りながら地獄を巡っている。
とはいえ、編集者が地獄で麦酒をたくさん飲むことだけはたしかである。
これはもう、しょうがない。