登美彦氏、祖母転居の報せを受ける


 森見登美彦氏は迫り来る締切にそなえて英気を養うため、近所のスーパーで軽やかに買い出しを行っていたが、祖母が実家にて食事中に倒れ、救急車で運ばれたという妹からのメールを受け取った。
 慌てて買い物かごを放り出し、登美彦氏は電車に乗った。
 そしてガタゴトと暗い夜を抜けて奈良へ向かう途上、「亡くなりました」という報せを受けた。


 祖母は夕食の牡蠣ごはんを美味しい美味しいと食べながら上機嫌であったが、ふと「あれ、なんやら、おかしいよう」と呟いて胸を押さえたかと思うと力を失い、それきりであったという。
 つい先ほどまで、当たり前に元気にしていた祖母が、ふいっとこの世からサヨナラしたのだと考えると、なんだか哀しさよりも不思議さが先に立つように思われ、登美彦氏は「むーん」と唸った。
 登美彦氏は、来週には一度、実家へ戻るつもりであった。
 しかし来週には、もう祖母はいないのである。「登美彦氏ご幼少のみぎり、彼はいかにその底抜けの愛らしさで祖母の評判を高めたか」という、無限循環する想い出話に辟易することも、もはやない。「そろそろ結婚しなくてはいけない」という無限循環するお説教に辟易することも、もはやない。字が小さすぎる上に内容的にも問題がありすぎて読めやしない登美彦氏の書き物を、祖母が握って放さない姿も、もはやない。


 じつにあっけらかんと祖母はあの世へ転居した。
 しかし、その去り方は、天真爛漫でポジティブの権化のような祖母に、いかにもふさわしいものなのだと登美彦氏は考えた。これ以上天真爛漫なサヨナラの仕方はないだろう。
 一年と少し前に亡くなった祖父は、気むずかしく人ぎらいで書斎派であった。だからあの世に溶け込めず、入り口あたりでうごうごして、時間を潰しているに違いないと登美彦氏は睨む。祖母が今から行けば、やすやすと追いつくであろう。祖母は果てしなく喋る陽気な人であり、人付き合いの天才であり、生活能力に長けた不屈の人であり、そして誇り高き祖父を立てることを決して忘れない、ようするに偉い人であった。
 祖母が行けばあの世も賑やかになるだろう。一人で苦り切っている祖父も、ようやく落ち着くことだろう。


 祖母はいつも幸せだ幸せだと言っていた。
 我が輩、祖母晩年の幸せに少しは寄与できたのではないか。
 来週ならもう一度寄与できたかもしれんが、今さら仕方のないことだ。
 登美彦氏はそんなことを考えた。そして西大寺駅で実家へ向かう乗り換え電車を待ちながら、ホームの隅に隠れて俯いていた。