晩餐


 森見登美彦氏はあまり厨房に入らない。
 したがって彼は、つねに街のどこかでその日の飢えをしのぐ。
 彼が厨房に入らない理由は、勇んで厨房に入ったとしても、自分の気高くワガママな舌を満足させるものができたことがないからである。実力を発揮できずに倒れていった食材たちに申し訳なく、かえって心の傷を負うのみであった。「これはもうしょうがないことだ。いたずらに食材たちを辛いめにあわせるわけにはいかぬ」と心優しい彼は断じた。決して料理が面倒臭いからではない。
 彼は目玉焼きに己が料理的才能のすべてを賭けており、そういうわけで彼はベーコンエッグを焼く腕前だけを日々磨きに磨いている。彼のベーコンエッグをひとたび食せば、いかなる高飛車な美女も彼に惚れることうけあいという噂である。とはいえ毎晩ベーコンエッグでは、これはほとんど引退した海賊の食卓(ラム酒抜き)にほかならない。


 今宵、登美彦氏は寒風吹きすさぶ街をさまよって、ある喫茶店に入り、鮭のソテーを食べた。鮭は焼けすぎてやや焦げていた。氏は無念に思ったが、バリバリと鮭の皮を噛み砕き、そうして織田作之助の短編小説を読み耽っていた。


 腹におさめた鮭のアブラを燃料にして、帰宅した氏は机に向かっている。腹も満足したのだから、たいへん眠そうであるのも無理からぬ話だ。眠気覚ましに、氏はブログをちょっと書いてみる。それから「こりゃちょっと難しい。何を書けばいいのかサッパリ分からねえ」と呟く。メロンパンを食べようとして、腹がいっぱいであることに気づいて止める。うとうとする。珈琲を飲む。メールに返信しようかと思うけれどもやはり止める。アーノルド・ローベルの「ふたりはいっしょ」を読む。「がまくん、君は我らのヒーローだ」と思う。
 そうして煙草に火をつけてぼんやりする。咳き込みながら、織田作之助のことを考える。そして、ヒロポンというのはそんなに凄く効くのだろうかと考えている。