登美彦氏、イタリア料理を食べる。


 森見登美彦氏は四条烏丸の地下道を歩いていた。
 階段を伝って地上へ出ると、四条通には夕闇が垂れこめて、その中でたくさんの提灯をつけた鉾が光っていた。笛と太鼓の音が響いていた。
 「おお、祇園祭ぢゃ。綺麗ぢゃのう・・・」
 登美彦氏はぼんやりと見上げていたが、やがて歩きだした。
 梅雨の湿気のために円広志氏の歌のごとく巻いて巻いて巻いて・・・まわってまわってまわってまわーるー髪におおわれた頭を垂れて、登美彦氏は室町通を歩いた。登美彦氏の行く手を「菊水鉾」がデンとふさいで、なにか地元の人々がいそいそと立ち働いていた。
 登美彦氏は元気なく待ち合わせ場所へ向かっていた。
 夕闇に輝くイタリア料理店「BOCCA del VINO」において待っているのは、某出版社の戦国春秋氏という人物であった。
 飛ぶ鳥を落とす勢いの売れっ子かつモテモテと一部で言われる(家族・愛犬・同僚の数人から)登美彦氏が、なぜそんなにも覇気を失っていたかというと、登美彦氏は戦国春秋氏をもう長きにわたって待たせているからであった。どれぐらい長いかというと、もう「物心ついた頃から」と言ってよい。
 登美彦氏は己の自己管理能力のなさを棚に上げ、思うように進まなかった言い訳を考えた。
 「太陽がまぶしかったから・・・」と呟いてみようと思った。
 それでも戦国春秋氏が納得せず、「腹を切って詫びろ」と言ったら・・・そうしたら金の卵を産む鳥を殺した大学時代の欲深い友人の話をしようと思った。
 「いや、本当にそういう友人がいたんです、となりの研究室に・・・。いやもう、イソップとかそんなんじゃなくて・・・」
 登美彦氏がぶつぶつ呟いて歩いていくと、料理店の前に戦国春秋氏が立っていた。


 結果的に戦国春秋氏は海よりも大きな心で登美彦氏を許した。
 そして二人はうまい料理をむさぼり喰った。
 息つく間もなし。
 「BOCCA del VINO」の料理は、ことほどさように美味かった。


 かくして登美彦氏は事なきを得た。
 思えば、小生が登美彦氏の近況を報じるためにこの日誌を開設したのも、戦国春秋氏との会話をきっかけとする。
 小生は、中身があるようでじつはない登美彦氏の空漠たる日常を、すでに百日分(+本日分)載っけた。これを記念して、看板にある「はてなダイアリー」仮免許状態を意味する「(仮)」を削除し、「すべての」を「一切の」に変更する。
 読者諸賢におかれては、今後とも登美彦氏の動向を気にするような気にしないようなエエカゲンな感じの絶妙な距離感でなにとぞ一つ、宜しくお願い申し上げる。