「パピルス」(幻冬舎) 23号


 有頂天家族 第二部


  「下鴨家の憂鬱」


 尻の毛を秋風が揺らす頃、狸たちは他の毛玉の温もりが恋しくなる。毛むくじゃらの身体を寄せて暖め合うことができるのは、ケモノに生まれた狸が断固死守すべき特権である。
 だからこそ、秋になると、狸たちは家族の温もり、家族の絆に思いを馳せる。


 「おまえたちには阿呆の血が流れている」
 今は亡き父の言葉は、狸界から落ちこぼれがちな「下鴨家の無念な子どもたち」を結びつけてきた。「阿呆の血」こそ我らの金科玉条、鼻孔から溢れ出すほど阿呆の血を持ち合わせていることが、父の子たるあかしであり、父の子たる誇りである。「阿呆の血」こそ、父の愛であり、我らの愛である。そう我々は信じてきた。


 人間という種族は、地球上で自分たちこそがもっとも繊細だと思い込んでいる節がある。ほかの動物たちは「喰って寝ていれば満足だろ」と決めつけ、日溜まりに寝転がる猫の境涯を羨ましがる。しかし、猫には猫の悩みがあり、狸には狸の悩みがある。尻に毛を生やしているからといって、心臓にまで毛が生えていると断ずるのは、あまりにも短絡的である。狸の心だって、人間に負けず劣らず、繊細微妙な働きをする。狸だって憂愁を知り、愛情を知り、憎悪を知る。


 狸は鈍感にあらず。ただ、阿呆であるにすぎない。
 ここに狸の心理学の要諦がある。