「小説宝石」 8月号


美女と竹林 第八回「登美彦氏、外堀を埋めて美女と出逢う」


 自分の作品が世の人に読んでもらえるようになるまでには、苦しい修行の日々を何年も過ごさなくてはならない。注目されることがなくても、うまく書けなくても、本にしてもらえなくても、へこたれずに営々と努力しなくてはならない。そうして五年、十年、二十年と頑張った後に、ようやく日の目を見ることもあるかもしれないということだ。長い苦闘のすえに名作を書き、雑誌では特集が組まれ、「森見さんの原稿が欲しい」と目を潤ませた女性編集者がぞろぞろと京都へ乗り込んできて、ついには憧れの本上まなみさんと対談できる日も来るかもしれない―というのが登美彦氏の思い描いた「作家の道」であった。
 「名作を書く」までは志が高いが、そこから先がなんだか違う、ということを気にしてはいけない。がりがりに痩せて似非文学青年風を装っている登美彦氏も、しょせんは人間だ。泣く子と地頭には勝てないのである。
 「長い道のりだなあ」
 登美彦氏は溜息をついた。「でも、こればっかりはやむを得ない」

「asta*」 8月号


恋文の技術 第五話「孤高のマンドリニストへ」


 今も銀行員のかたわら、マンドリン道を究めておられますか?
 正直なところ、先輩のマンドリンの腕前はいまだに謎です。マンドリンを弾くより語っている方が長かったからです。マンドリンオーケストラを飛び出す羽目になった理由もなんとなく想像がつくというものです。
 丹波マジックにひっかかった学生たちと一緒に、先輩の「俺の奇兵隊」に加わりながら、維新も起こさず、学問にも励まず、ぐうたら朝寝をしていた頃のことを懐かしく思い出します。あの何ものにも束縛されず、そして何ものをも生み出さなかった光輝く青春の日々に、一度でいいから戻りたい。そしてすべてをやり直したい。
 もう少しなんとかならんかったのかと思うわけですよ。
 もう少しなんとかなっていたら、こんな山奥で恋文代筆のベンチャー企業を設立する夢を孤独に育む羽目にもならなかったと思うわけです。
 そういうわけで恋文の書き方を教えてください。


                            恋文初心者守田一郎


  丹波師匠 足下

「小説新潮」 7月号


「蝸牛の角」


 「街路樹の葉から滴り落ちた水一滴にも、全宇宙が含まれている」というお話であった。
 京都にて無駄な日々を送る学生ならば誰もが奉じる「阿呆神」という神は何処におわすかという話が転がって、シュレディンガー方程式やら宇宙誕生やらインフレーション理論やら華厳宗やら、そういう自分たちでも手に負えない言葉を無闇に弄ぶうちに、ますます手に負えない壮大な話になったらしい。徹底して議論する風をよそおいながら、結論を出す気はさらさらないのだから呆れたものだ。
 下鴨神社のそばにある古い下宿の一室である。
 男三人が面を付き合わせ、とりとめもなく喋りながら晩夏の夜を過ごすかたわらには、なぜか色とりどりの饅頭と麦酒だけがふんだんにある。
 「―つまり、阿呆神の住まう四畳半は偏在するのだ」
 薄汚れた浴衣を着て無精髭を生やした男が言った。



  および、登美彦氏の山本周五郎賞受賞にまつわるインタビュー。

「小説すばる」 8月号


ヨイヤマ万華鏡 「狂言金魚」


 掛川は「超金魚」を育てた男として名高い。
 超金魚とは、なにか。
 俺たちは奈良の出身だが、出身高校がある町は古くから金魚の養殖業が盛んで、父が住職をやっている寺のそばにも藻の浮いた養殖池が広がっていた。本堂の裏手にあたる板塀の下に古い水路が走っていて、どういう手をつかって逃げ出したものか、金魚が紅い花びらのように漂っているのを見かけた。
 高校一年の夏休み前、どこかへ出かけた帰りに通りかかると、その水路にかがみこんでる人間がいて、それが掛川だった。学校ではあまり言葉を交わしたことがなかったけれど、あんまり熱心にやっているので、思わず自転車を止めて声をかけた。境内から塀を越えて張り出した木々が水路に影を落としていて、俺を見上げる掛川の顔は木漏れ日にまだらに染まり、それが夏休みの小学生のように見えた。なんだか知らんが、やけに楽しそうなのである。
 「藤田君かあ」
 掛川はいつものように「君」づけで俺を呼んだ。「・・・金魚をね、すくってるんだけどね」
 「なんで?」
 「鍛えようと思って」
 普通ならばそこで「今後なるべく疎遠になろう」と思うだろう。高校生にもなって金魚すくいに精を出して、しかも「鍛える」とか言っている人間はあんまりよくない。案配がよくない。雲行きがよくない。彼独自の世界に俺の居場所はなさそうだ。