長尾真さんとの思い出

 

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 森見登美彦氏は大学院に在学中の2003年、『太陽の塔』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞してデビューしたが、その年まで京都大学の総長だったのが長尾真氏である。といっても、四畳半アパートでモゾモゾしている腐れ大学生が総長と顔を合わせる機会は基本的にない。遠くからその姿をチラリと見ただけである。

 その後、登美彦氏が大学院を卒業し、国立国会図書館に就職して働いていると、長尾真氏が館長に就任することになった。まさか総長が館長に変身するとは!

 といっても、登美彦氏は関西館で働いていたので、館長と顔を合わせる機会はやはりなかった。いや、たしか一度だけ、長尾館長が関西館へ視察にやってきて、収集整理課の中を通り抜けていく姿を眺めたような気がするのだが、どうも記憶がボンヤリしているので、もしかすると館長の夢を見たのかもしれない。

 やがて登美彦氏は永田町の東京本館へ転勤し、死ぬほど忙しい二足の草鞋生活を一年半続けた後、ついに力尽きて退職することになった。

 2010年九月の末である。

 人事課の女性に連れられて、国会図書館の館長室へ、退職の挨拶に向かった。初めて足を踏み入れる館長室はびっくりするほど明るくて広々としていた。さすが館長!と登美彦氏は感心した。そこでようやく長尾真氏と言葉を交わすことになったわけだが、残念ながら何を話したのか、ほとんど記憶に残っていない。

 「森見さんは小説を書かれるのですか」

 長尾館長が少し困ったように言ったことだけはおぼえている。わざわざ安定した職を捨てて、「小説家になる!」などと言いだした若手職員の行く末を心配しているようであった。人事課の女性が「森見さんは売れっ子なんですよ」と言ってくれたが、そのような意見も今ひとつ効果がなく、長尾さんの心配そうな顔は変わらなかった。なんだか申し訳ない気持ちになって、登美彦氏は館長室をあとにしたのである。

 本日、長尾真氏の訃報に接して、十年前のそんな記憶がよみがえってきた。

 ご冥福をお祈りいたします。