西尾哲夫『ガラン版 千一夜物語(1)』(岩波書店)

ガラン版 千一夜物語(1)

ガラン版 千一夜物語(1)

 

 小説『熱帯』を書くとき、森見登美彦氏は「千一夜物語」というものを下敷きにした。一般的には「アラビアンナイト」と言ったほうが伝わりやすいだろう。たとえば「アラジンと魔法のランプ」や「シンドバッドの冒険」など、昔から映画などでもお馴染みのイメージである。

 なにゆえ登美彦氏は「千一夜物語」を取り上げたのか。

 それはこの物語集がとてつもなく膨大で、ヘンテコな入れ子構造を持ち、しかも「西洋と東洋」を股にかける複雑怪奇な成立過程を持っているからである。「千一夜物語」について調べると、「物語」が大勢の人間たちを幻惑していく魔力に驚かされる。だからこそ「千一夜物語」を自分なりに料理してみたくて、登美彦氏は『熱帯』を書いた。

 『熱帯』執筆が終盤にさしかかった頃、どうしても「千一夜物語」について専門に研究している人の話を聞きたくなった。

 研究者の西尾哲夫先生が国立民族学博物館にいらっしゃることを知ったとき、「これは運命にちがいない!」と登美彦氏は思った。なぜなら民博のある万博公園は登美彦氏の幼少時代の遊び場であり、想像力の源泉であったからだ。『太陽の塔』は登美彦氏のデビュー作のタイトルである。国立民族学博物館へ西尾先生を訪ねていって、澄んだ秋空にそびえる太陽の塔を眺めたとき、人生の伏線を回収したような感慨を覚えたものである。そして西尾先生に「千一夜物語」の写本を見せてもらったり、貴重なお話を聞いたおかげで、『熱帯』を書き上げることができた。

 『熱帯』には「千一夜物語」に取り憑かれた人々が登場する。そもそも「千一夜物語」を作り上げてきたのは「千一夜物語」という夢に取り憑かれた人々だった。『ガラン版千一夜物語』を手がけたアントワーヌ・ガランは、ヨーロッパで初めて「千一夜物語」に取り憑かれた人間といえるだろう。もちろん「千一夜物語」は中東で生まれたのだが、ガランの手で翻訳紹介されたことによって、世界の「千一夜物語」へと変身を遂げたのである。ある意味ではガラン版が始まりなのだ。

 このガラン版(全六巻)を翻訳中の西尾先生もまた、「千一夜物語」に取り憑かれた人である。「千一夜物語」に取り憑かれた人々の手を借りて「千一夜物語」は変身を重ねていく。

熱帯

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