「STORY BOX」(小学館) 1号


 尾道」―夜行― 


 八月の終わりのことである。
 向島の乗り場から渡船に乗った。傾いた陽射しが、渡船の行き交う海を輝かせていた。対岸には青い山裾から這い上がるようにして尾道の町が広がり、山の上には夏雲が浮かんでいる。のんびりしたエンジン音を立てて渡船が岸を離れると、潮風が私を包んだ。
 船は素朴な造りである。乗客はまばらで、学生や老人といった地元の人が多く、白い夏帽子をかぶった女が目立つぐらいだった。私は右舷に寄りかかって息を吸い込んだ。海には縁のない土地で育ったせいか、潮の香りに旅情を感じる。
 対岸が近づいてくると、向島の岸壁から幻のように見えていた、海岸沿いの雑居ビルや尾道の駅舎がくっきりと見えてきた。
 ふと気づくと、帽子の女が私の前に立っている。夏服の袖から覗く腕が帽子と同じように白かった。彼女は船の外へ手をさしのべて、潮風をかきまぜるような仕草をした。白くて柔らかい布が風をはらんで揺れるようである。