「きつねのはなし」(新潮社)(10月31日発売)


きつねのはなし


第一話「きつねのはなし」

 
 天城さんは鷺森神社の近くに住んでいた。
 長い坂の上にある古い屋敷で、裏手にはみっしりと詰まった常暗い竹林があり、竹の葉が擦れる音が絶えず聞こえていた。芳蓮堂の使いで初めて天城さんの屋敷を訪ねたのは晩秋の風が強い日で、夕闇に沈み始めた竹林が生き物のように蠢いていたのを思い出す。薄暗い中に立つ竹が巨大な骨のように見えた。
 私はナツメさんに渡された風呂敷包みを脇に抱えて、立派な屋根つきの門をくぐった。前もって言われていた通り庭にまわり、沓脱ぎの前に立って声をかけると、暗い奥から天城さんが出てきた。群青色の着流し姿で、眠そうな顔をしていた。寝ていたのだろうと思った。細長い顔には生気がなく、青い無精髭がうっすらと顎を覆っていた。
 「芳蓮堂から参りました」
 私は低頭した。
 「ごくろうさん」
 天城さんは憮然とした顔をして、私を奥に案内した。
 屋敷の中はどこまでも暗い。天城さんはあまり明かりを好かないということを後になって知った。長く冷たい廊下をひたひたと歩いて、伏せていた眼を上げると、天城さんの着流しの袖からのぞく骨張った手首の白さだけが、闇に浮かぶように見えた。
 

「Sweet Blue Age」(2月21日発売)


Sweet Blue Age

Sweet Blue Age


 森見登美彦氏は述べる。
 「華やかなアンソロジーの軒先を借りて、久々にこっそり世の中にお目見えする。自分の小説が載った単行本が出るのは、じつに一年と二ヶ月ぶりである。ありがたやありがたや。ひとやすみひとやすみ」


夜は短し歩けよ乙女


 歩く乙女。
 「そのお酒は「偽電気ブラン」というのです。電気でお酒を作るなんて、いったい誰がそんなオモチロイことを思いついたのでしょう。私は好奇心で一杯になるあまり、木屋町の路上でぱちんと弾けそうになりました。」


 浴衣姿の樋口氏 
 「我々を信用しちゃいけないよ。我々は得体が知れないよ」


 タダ酒を飲む技術を駆使する羽貫さん
 「先斗町最高!」


 追う男。
 「これは私のお話ではなく、彼女のお話である。
  役者に満ちたこの世界において、誰もが主役を張ろうと小狡く立ち廻るが、まったく意図せざるうちに彼女はその夜の主役であった。そのことに当の本人は気づかなかった。今もまだ気づいていまい。
  これは彼女が酒精に浸った夜の旅路を威風堂々歩き抜いた記録であり、また、ついに主役の座を手にできずに路傍の石ころに甘んじた私の苦渋の記録でもある。読者諸賢におかれては、彼女の可愛さと私の間抜けぶりを二つながら熟読玩味し、杏仁豆腐の味にも似た人生の妙味を、心ゆくまで味わわれるが宜しかろう。
  願わくは彼女に声援を。」