ドロステのはてで僕らは四畳半タイムマシンブルース

  森見登美彦氏、じつに久しぶりの「腐れ大学生」小説である。

 『四畳半神話大系』から十六年、それだけの歳月を超えて、かつて書いたキャラクターをふたたび書くのは容易なことではない。「私」にしても「小津」にしても「明石さん」にしても当時てきとうに書き散らかした筆にまかせて自由に生みだしたものであるから、計算して再現するのは不可能である。

 というわけで、『四畳半神話大系』とまったく同じとは言いにくい。

 一番大きなちがいは、全体的に丸くなったというか、みんな可愛らしくなったという点であろう。主人公の「私」にしてもそうだし、とりわけ「明石さん」がそうである。その理由としては、登美彦氏が歳を重ねて学生時代から遠くはなれたからということもあるし、中村佑介氏によって描かれた「明石さん」があまりにも素敵だったからということもある。素敵なものを素敵に書きたくなるのは人情である。

 とはいえ、この作品を書くことによって、『四畳半神話大系』の世界にふたたび触れることができたのは登美彦氏としても嬉しいことであった。『四畳半タイムマシンブルース』を書くという行為は、まさにタイムマシンに乗って十六年前へ出かけることなのであり、そんな時間旅行を実現できたのはヨーロッパ企画の「サマータイムマシン・ブルース」という作品のおかげである。

 あらためて上田誠氏とヨーロッパ企画のみなさまに感謝したい。

 ところで原案者たる上田誠氏は、タイムマシンというか、タイムパラドックスというか、とにかくそういうたぐいのややこしい現象に対して、あいかわらず興味津々のご様子である。現在公開中の映画「ドロステのはてで僕ら」にそのヘンタイ的情熱が横溢しているのは誰もが認めることであろう。

 ちなみに「ドロステ」とは公式サイトの説明によると、

 「絵の中の人物が自分の描かれた絵を持ち、その絵の中の人物も自分が描かれた絵を持ち……という、無限に続く入れ子のような構図のこと」

 かつて登美彦氏が『四畳半神話大系』を書き、それを上田誠氏が脚本を書いてテレビアニメ化し、さらに登美彦氏が上田誠氏の「サマータイムマシン・ブルース」を『四畳半神話大系』の世界に持ちこんで小説化したわけだが、これを上田誠氏がふたたび脚本化してアニメ化するようなことにでもなったら……この清らかなおっさん二人組によるキャッチボールこそドロステくさい。文学的ドロステくさい。

 というのは冗談であるが、『四畳半タイムマシンブルース』というタイムマシン作品が出版される夏、こちらもまたタイムマシンをめぐる映画「ドロステのはてで僕ら」が公開される――これも何かの御縁である。運命の赤黒い糸である。

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