森見登美彦氏、『夜行』を書き終える。


 森見登美彦氏は、ようやく『夜行』を書き終えた。


 『夜行』は「旅先の夜」にまつわる物語で、『きつねのはなし』から十年ぶりの怪談連作となる。「夜行」とは夜行列車の夜行であるかもしれず、百鬼夜行の夜行であるかもしれぬ。
 この作品を書き上げるまで、登美彦氏は終わりのない夜の世界へ閉じこめられていたようなものであった。それはじつに身体に悪い経験であった。もう当分、『夜行』のような世界には迷いこみたくないと登美彦氏は思っている。
 「本当に夜明けはくるのであろうか――」
 書きながら、登美彦氏は幾度不安に思ったか知れない。 


 ともあれ、長い夜の旅は終わって夜明けがきた。
 『夜行』は十月下旬に小学館から発売予定である。
 同時に、これまでに登美彦氏がおこなってきた対談をまとめた『ぐるぐる問答 森見登美彦氏対談集』も刊行予定である。


 なお、本作『夜行』の刊行をもって、2013年に始まって以来、アクロバティックというかデタラメというか厚顔無恥というか、時空をねじ曲げて闇雲に延長を重ねてきた「作家生活十周年」は終わる。
 『聖なる怠け者の冒険』および『有頂天家族 二代目の帰朝』の単行本(文庫本ではありません!)をお持ちの方は、本の帯についている「応募券」にご注目ください。ようやく、その応募券が実力を発揮する時がきたのであります。(十周年記念企画については、秋に刊行される『夜行』において、また当日誌において、いずれ詳細を告知いたします。)


 十周年を延長し続けるという前代未聞の事態に立ち至ったのは、ひとえに登美彦氏の小説家としてのチカラ不足が原因である。あの頃の登美彦氏はおのれに対して高望みがすぎた。なにか小説家として派手なことをしなければと焦っていたのである。
 「関係者の皆様、読者の皆様にお詫びいたします」
 登美彦氏はそう述べて頭を下げるしかない。


 この三年の情けない経験から、登美彦氏は己の力量というものが、織田作之助言うところの「耳かきですくうほどもない」ということを思い知った。まったくパワフルなところがなかった。なんのあてにもならなかった。火事場の馬鹿力なんてどこからも湧いてこなかった。
 今後、森見登美彦氏はおのれに対する一切の高望みを捨て、できもしない約束をせず、大言壮語を慎み、耳かきですくうほどもない才能を妻と同じぐらい大事にしながら生きていくことをお約束する。たとえ十五周年がきても二十周年がきても三十周年がきても、世界の片隅で「今日も良いお天気だナア」と呟きながらやりすごすことであろう。


 ともあれ、十周年の幕が引かれるまで、もう少しお付き合いいただけるなら幸いである。