登美彦氏、新年を迎える


 そろそろ世を飛び交う「明けましておめでとう」も落ち着いてきた頃であろう。
 森見登美彦氏は奈良でひっそりと年末年始を迎えた。


 さて、お正月のこと。
 ひょっこりと2013年氏が訪ねてきた。


 2013年氏は達磨のように着ぶくれていた。
 そして巨大で真っ赤なマフラーを巻いていた。
 その日は冷え込みが厳しかったからである。
 彼は森見家の玄関先に立って、マフラーをいじってモジモジした。
 「森見登美彦さんのお宅はこちらですか?」
 「ええそうですよ。遠いところをわざわざどうも」
 「いやいや、それほど遠いわけでもないんですけれども。とにかくいろいろと挨拶にまわらなければならないので」
 「たいへんですなあ。どうぞ上がってお茶でも」
 「いやいや、そんなお茶だなんて」
 「お菓子もありますよ」
 「なんとお菓子ですか。しかしそんなわけには、いやしかし、それはなかなか」
 2013年氏は人見知りであるようだった。


 2013年氏は居間のソファに座り、熱い紅茶を飲んだ。
 ほうほうと満足そうな声をだした。
 「ありがたいですねえ」
 「あったまるでしょう」
 「まったく今年の正月は寒いですからねえ」
 「今年って、アナタがその今年でしょう」
 「それはそうですね。すいません」
 やがて前任者の2012年氏の話題で盛り上がった。
 2013年氏は2012年氏をねぎらい、彼の後任として頑張る的な発言をした。
 登美彦氏はふむふむと聞いていた。


 2013年氏は紅茶のカップを置き、身を乗り出して言った。
 「それで……今年はどうなりますか?」
 「どうなる、と言われると?」
 「まず一つ、アナタは34歳になられました」
 「はあ。それはそうです」
 登美彦氏は曖昧な顔をして頷いた。


 読者の人々にはあんまり関係のないことであるかもしれないが、登美彦氏は1月6日に34歳になった。へたをすると小学生の頃の感覚の延長で生きているのに、数字だけは着実に重ねて、34歳である。
 なんとなく誰かに騙されているような気がしているのだった。


 2013年氏はさぐるように続ける。
 「さらに作家として十年目を迎えた」
 「まあ、いちおうはそういうことになりますけど」
 登美彦氏はまた曖昧な顔をして頷いた。


 2012年、登美彦氏は奈良の古事記的時間の中にふわふわと漂っているばかりで、虫歯の治療を始めとする身体的メンテナンスに専念し、たいした仕事をしなかった。そんな一年も勘定に入れて「十年目」というのはズルいのではないか。「九年目」というのが正しいのではないか。
 あんな一年を勘定に入れることを、お天道様は許してくれるのか。


 というようなことを登美彦氏は言った。
 2013年氏はひらひらと手を振った。
 「そんなのはアナタ、黙っていれば分かりゃしない。『太陽の塔』が出版されたのが2003年ですから、たしかに十年でまちがいない」
 「単純に計算すればね」
 「なにも私はアナタに、アレをしろコレをしろと命じたいわけではないです。そんな差し出がましいことはネ、申しませんけれども。しかしアナタ、こうして私が訪ねてみれば、あなたはもうすっかり良いお歳だし、デビュー十年目というのは節目だし……」
 「こらこら、ちょっと待ってくれ」
 「あれはどうなりましたか、『聖なる怠け者の冒険』は?……あと、storyboxという雑誌で連載していた怪談「夜行」というものがありましたね、それに、もうずいぶん長い間『有頂天家族』の続篇が出ておりませんし、AmazonのMatogrossoで連載中の「熱帯」は、ずっと止まったままのはず。ほかにもイロイロ……」
 ふいに登美彦氏は叫んだ。
 「あ、分かったぞ!何か今年の『抱負』を語らせようっていう魂胆だな。その手にのるか」 
 「おやおや、なにを仰る」
 「そうして俺をボンレスハムのようにぎちぎちに縛るんだろう。抱負がなんだい、そんなもの!」
 「まあまあ登美彦さん、落ち着きなさい。私は何も要求していないじゃないですか。どうもアナタは被害妄想的で……」
 「妄想するよ、それは。妄想が仕事なんだから」
 「私はべつにあなたの敵ではない。ただこうして正月にやってきて、大晦日にはサヨナラです。しかしながら私としても、せっかくなら自分の任期中に、それなりに何かオモシロイことをやってほしいと思ったりするわけです。悪意はないですヨ。信じてください」
 登美彦氏は溜息をついて紅茶を飲んだ。
 「うん。そうですね。興奮してすいません」


 2013年氏は微笑んだ。
 「2012年が空白の一年であったことは分かっております。しかし前半はずいぶん苦しそうでしたが、後半は光明が見えてきたではないですか。東京から奈良へ帰ってきたときのことを考えてみれば、とりあえず今こうして落ち着いているのはスバラシイことではないですか。あのときのアナタときたら、腐った牛乳を拭いたあとの雑巾みたいにどうしようもなかったというもっぱらのウワサですよ。だからまあ、よかったんですよ。2012年は良い仕事をしたということですよ」
 そして紅茶を飲み終えた2013年氏は立ち上がる。
 「それでは失礼しますかな」
 

 玄関先で2013年氏は手を差し出し、登美彦氏と握手をした。
 「私はこれから一年間滞在しますから。やれることをやってください」
 「やるかもしれない」
 「かもしれない?」
 「やれないかもしれない」
 「そんなことを仰る。実際はもう、宴の支度はととのっているのではないですか?」
 「今はまだ何も言えない。嘘をつくのはいやだから」
 登美彦氏はあくまで用心深く言った。


 2013年氏はくつくつ笑った。
 マフラーを巻いてドアを開けた。
 「十二月、またサヨナラに来ます。そのときはうまい酒が飲みたいものですな」


 そうして2013年氏は次の挨拶先へ行ってしまった。
 以上が登美彦氏のお正月である。