森見登美彦氏はペンギンたちと机上の死闘を繰り広げていた。
ふと手が止まる。
スティーヴン・キング言うところの「自己懐疑の念」に追いつかれたのである。
「それにしても、なぜ『ペンギン』なのであろう?」
それは作者にもわからないのであれば、だれにわかろうはずもない。
そんなふうに、登美彦氏がおそるべき自己懐疑の魔の手から逃げ切ろうと机上を走り回っている一方で、登美彦氏の知り合いたちは充実した土曜日をすごしていた。
登美彦氏の同僚たち(男性2名)は東京国際アニメフェアというものを見物に出かけた。そして映像化された『四畳半神話大系』の気配を味わっていたという。なにゆえ原作者である登美彦氏はそういう華やかなところを見物することができず、同僚たちに先をこされてしまうのであろう。ふしぎかつ切ないことである。
一方で、腐れ大学生時代を含む十年来の付き合いであり、ともに洛西の竹林を刈りまくった仲である登美彦氏の戦友は、「森見登美彦コミュのオフ会」というものに参加していたという。
戦友は登美彦氏の貧弱な魂の裏表を知り尽くした人間でありながら、そんな気配は微塵も見せずに善良なる一読者を装い、読者の中にぬけぬけともぐりこんで平気な顔をしている希代の悪人である。そもそも、寝る間もない超多忙な弁護士稼業の合間に何をやっているのかわからない。登美彦氏を愛読する黒髪の乙女でもさがしているのであろうか。
「ちなみに森見君の話題はまったく出なかった。何のオフ会かもわからない。あれはふしぎな会だな」
彼はそんなことを述べている。
まったくあきれたことである。
そういう知り合いたちの活動を聞き、この週末ほとんど机上でうめいていた登美彦氏は、おのれの世間の狭さを嘆いている。
せめて散歩するぐらいの心のゆとりが必要であろう。