登美彦氏、愛娘と一緒に新年を迎える。


夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)


 登美彦氏は正月を愛娘と一緒にぐうたらして過ごした。


 「お父様、明けましておめでとうございます。ぺこり」
 「うむ、おめでとう。しかし、おまえ、ずいぶん小さくなったのう」
 「あい。こんなにも小粒に。まるでひよこ豆といっても過言ではないのです」
 「そんなに小さくはないだろう。豆に書いた小説は読めない」
 「あいすいません。過言でございました。ぺこり」
 「『ぺこり』は擬音であって、発音する必要はないのだ」
 「あい」
 「そんなに小さくなったのなら、どこにでももぐりこめるな!」
 「むろんです。日本全国津々浦々へずんずんと!」
 「その心意気やよし!ともあれ、表紙を描いてくださった中村さんに感謝だ」
 「ぺこり」
 「そして『解説にかえて』を描いてくださった羽海野チカさんにも感謝だ」
 「ぺこり」
 「羽海野さんには唐突にお願いしてしまって、申し訳なかったなあ」
 「お父様はなんでも急なのですから。思い立ったが吉日なのですから」
 「神山健治氏とお会いしたときに、羽海野さんのお名前を聞いたのだ。しかし羽海野さんにはお会いしたことがない。今日も元気にマンガを描かれているだろうか。それともお正月を満喫されているだろうか」
 「元気にされていますように。なむなむ」


 「お父様はなぜ日誌を更新されなかったのでしょう?」
 「多忙だったのだ。そして、日誌を更新するというのはもっとも優先順位の低い用事だ。だって締切がないのだからな」
 「なるほど」
 「おまえが世の中に出たときには大いに宣伝しようと思ったし、クリスマスには母親の焼いた超うまいローストチキンについて述べようと思ったし、大晦日には気の利いた台詞で一年を締めくくろうと思ったが、なんとなくぐうたらしているうちに一切はすぎてしまった。まあ、億劫だったんだ。だれにも文句は言わせないよ。ときに期待を裏切るのが関係を長続きさせるコツなのだ」
 「ではその間に、有意義なことはされましたか?」
 「角川文庫の十二月の『編集長』というものになったよ」
 「似非昭和風編集者のコスプレを…」
 「なぜかあんなことになった」
 「なぜでしょう?」
 「『どうですか?』と言われると、なんとなくやってもいいような気になるのだ」
 「あい」
 「でも、よくよく考えてみたら、ほかの編集長はみんな現代的な格好だった」
 「京極夏彦様が…」
 「京極夏彦さんはコスプレではないんだよ」


 「そういえば、万城目学氏が京都へ攻めてきたので応戦したな」
 「それは一大事」
 「二人で河原町の『あじびる』で焼き肉を食べたんだ」
 「お父様は焼き肉ばかり食べていますね」
 「なぜか文章に書くような機会に焼き肉にからんでいるだけなんだよ。ふだんは玉子ごはんさ」
 「玉子ごはんは、命のみなもと!」
 「そうとも!」
 「万城目さんと何を喋ったのですか?」
 「おぼえていない。べつに大事な話をしたわけでもない」
 「それは残念」
 「たしか万城目さんに『万城目さん、もっともっと仕事してください!』と言った」
 「万城目さんは仕事をしないのですか?」
 「そんなことはない。でもなんだかゆったりしているのだもの。『めたるぎあそりっど』をしたりしているのだもの。あんまり悔しいじゃないか」
 「お父様はあくせくしてます。それはもう、あくせく!」
 「それなのに『森見さんと話をしていると、頑張らなくてもいいんだ、と思えるからありがたい』と万城目さんに言われた。どういうことなのだろう?」
 「それは褒められているのでしょうか?」
 「分からんなあ。謎めいた人だからなあ。まるで自分の小説に出てくる人を見ているようだよ」
 「油断していては寝首をかかれるのです」
 「油断のならぬ人だからな」
 「お父様のカタキはわたくしがかならず!」
 「いや、べつにいいよ」


 「あとは、もうすぐ生まれる息子を磨き直していたな。正確には今もまだ」
 「ああ、わたくしにまた弟が!」
 「できるできる。春までには生まれるだろう」
 「子だくさんですね。少子化対策ですね。ご立派です」
 「お父さんはいつでも立派なのさ」
 「あい。おっしゃるとおりです」
 「でも、『恋文の技術』も息子なんだ。しかも、またへんてこりんなんだ」
 「なにかご不満でも?」
 「へんてこな息子ばっかりだ。へんてこで、男臭い。残念だが、娘はおまえ一人になるかもしれないよ」
 「わたくしも妹が生まれれば嬉しい」
 「『娘を書く』というのは、おもいのほか、ムツカシイ。お父さんは男だからな」
 「でも弟も可愛いのです」
 「そうだな。みんな我が子だ」
 「そうですとも」


 「ほかには何か?」
 「編集者の人たちと忘年会をしたり…クラブ時代の友人たちと忘年会をしたり…研究室時代の友人たちと忘年会をしたり…高校時代の友人たちと忘年会をしたり…」
 「それだけ忘年会をすれば、きっとぜんぶ忘れることができたでしょうね」
 「そうだな。もうみんな忘れてしまった。すべての約束も、締切も…。年が変わるというのは、一切がご破算になるということだ」
 「新しい年!」
 「そう、新しい年!読者の皆様がよい一年を過ごされますように!」
 「なむなむ!」
 「なむなむ!だましだまし、いこう。とりあえずお父さんは竹林へ行ってくるよ」
 「お父様!」
 「なんだい?」
 「この太宰治全集の間にはさまっている小太りのおじさんは誰ですか」
 「見るな。いないものと考えろ」
 「わたくしのことを、それはもうつぶらな瞳でジッと見てらっしゃるのです」
 「見かけの可愛さに騙されてはいけない」
 「ぷよぷよしてます」
 「ともあれ、お父さんは竹林に行く。かぐや姫をさがさねば!ではごきげんよう!」
 「いってらっしゃいませ!」


 「それでは皆様、だましだまし、一年をお過ごしください。ぺこり」


夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)