登美彦氏、新年の挨拶をする。

謹賀新年。


 「読者の期待にこたえない」


 森見登美彦氏は布団にくるまってぶつぶつ言った。


 二○○七年の登美彦氏のはしゃぎぶりは、目にあまるものがあった。
 未来に絶望して四畳半で呻いてばかりいた登美彦氏が、おのれの力量もかえりみずにあちらこちらへ出頭没頭、立派な賞をもらったり、日本放送協会の電波に飛び乗って全国のお茶の間に出向いたりした。いろんな雑誌に小説を書いた。
 二○○七年の登美彦氏は生涯もっとも人気があったと言えよう。おそらく森見登美彦史を作る人(たぶん自分)は、「二○○七年は森見登美彦史上、もっとも華やかな年であった」と書くだろう。
 登美彦氏も人の子であるから、多少、調子にのったところがある。
 それはしかたがない。


 ただ漠然と痩せているにすぎないものを、刻苦勉励に由来する痩身と見せかけて、婦女子のハートをねらい撃とうとしたりもした。まことに見えすいた手であったが、不特定多数の女性からファンレターをもらったりもした。街中でサインを求められたりもした。
 だが、そのたびに、登美彦氏はそんな状況に対応できない人間であることを露呈した。
 実際に高島屋の前で美女に声をかけられたりすると、登美彦氏は何を喋ればよいのか分からなくなるのだ。その美女の手帳に「森見登美彦タカシマヤ」とサインしているところを、待ち合わせをしていた徳島帰りの明石氏に目撃されたりした。
 「あんたはそれで満足かい?」と、あの北白川の四畳半で孤高を気取っていた頃の登美彦氏がささやく。
 「油断するな。四畳半の俺とあんたは地続きだぞ」と。
 

 年末年始、登美彦氏は部屋の大掃除と二○○八年のお仕事の準備をしながら、心をひそめて二○○七年の己のふるまいをかえりみた。次々とやってくる締切次郎からわずかに解放されて、ようやく反省する機会を得たのだ。
 そして反省しすぎるほど反省した。
 「盛者必衰!盛者必衰!」
 登美彦氏は二○○八年の来るべき転落にそなえようとする。


 したがって、登美彦氏は先手を打つ。
 石橋を叩いて叩いて叩きつぶし、岸に立ちつくすのが彼の流儀だ。


 二○○八年、二十代最後の一年を迎えるにあたって。
 登美彦氏の抱負は二○○七年の抱負と変わらない。


 「読者の期待にこたえない」


 登美彦氏はこの大原則をかたく守るつもりらしい。
 その証拠に、いまさら新年の挨拶をしている。
 「読者の期待にこたえない」一年は、忘れられた頃合いをねらって日誌を更新することから始まる。