登美彦氏、有頂天サイン会の想い出にひたる。


 何度やっても慣れなくて、むしろ気が進まないのだが、登美彦氏は東京のサイン会へ出かけた。
 登美彦氏はサイン会の直前になると逃げ出したくなるのだが、担当編集者の小玉さんがそのきらきらする純真な小狸のごとき瞳を潤ませる羽目になったら可哀想だと思ったので逃げなかった。したがって小玉さんがきらきらする純真な小狸のごとき瞳を持っていなかったら、逃げていたかも知れないのだ。


 百人近い人たちが並んでくれたのはありがたいことである。
 色々な人がいた。
 女性もいた。男性もいた。顔馴染みの人もいた。
 親子で来てくれた人もいた。
 馬のかぶりものをして登美彦氏を遠くで眺めている人もいた。サインをしている間、スケッチブックに「あつい」などとメッセージを書いては見せてくるので、登美彦氏は気になってならず、思わず「京都帰りたい」と紙に書いて返事をしたりしたが、じつはああいう馬のかぶりものをして出現したりしてはいけない。なぜならば書店の人が心配するからである。さらに登美彦氏も怯えるからである。馬がふいに暴れ出したら、これはかなわない。

 
 登美彦氏にとって、自分のサインなどつまらないものである。
 これほど面白みもなく、有り難くないものが世の中にあるのか!というほどに、つまらない。
 したがって、本を読んでくれる人たちが登美彦氏のサインを手にするためにわざわざ足を運んでくれることが申し訳ない。しかも登美彦氏のサインは、ぜんぜんサインらしくないのである。ぜんぜんぐにゃぐにゃしてもいない。達筆でもない。ふつうである。それでも皆さんがサインを貰って帰ってくれることは、登美彦氏にとって不思議である。


 小玉さんは鼻炎に苦しみながら本を広げ、登美彦氏はせっせとサインをし、そして別の人が落款をいっしょうけんめい押してくれた。何か右脇で小玉さんがころころしているなと思ったら鼻炎に苦しんでいるし、百人分の落款を押すのは力のいる作業だから左脇にいる女性も苦しんでいる。女性ふたりを両脇で苦しがらせて、登美彦氏はとんだ悪代官ぶりであった。


 「しかし、やっぱりサイン会というのはどうもな」
 登美彦氏はぶつぶつ言う。
 「私は机に向かっているのがいちばん人の役に立つと思うのだ。外へ出て行ったところで、何も面白いものを提供できない」


 その有頂天サイン会から数日経った。
 登美彦氏は〆切に苦しむかたわら、サイン会当日に読者の方々からもらったプレゼントを検分した。
 カステラが三本出てきたことに驚く。達磨が七つ出てきたことに驚く。むぎゅむぎゅの柔らかい変な顔の置物が出てきたことに驚き、それがあまりにもむにゅむにゅした手触りなので、ひとしき握りつぶして遊ぶ。手拭いやお菓子や珈琲豆などで私腹を肥やす。『もずくウォーキング!』というやけに可愛らしい漫画をもらったので読んでみる。『フォトサプリ』という写真集をもらったので、太陽の塔を眺める。
 「ありがたいことである」
 登美彦氏は言っている。
 「まさか自分が見知らぬ女性からプレゼントをまきあげるような唾棄すべき人間になるとは思わなかった。しかし唾棄すべき人間にも五分の魂、これはありがたい。けれども本当にありがたいのは、やはり手紙をもらうことだ」


 登美彦氏は手紙を一通一通読み、日付と「有頂天サイン会」とメモを書いて、橙色の箱にしまうのだ。
 「災害備蓄用パン」
 「玉子がゆ」
 「いそべもち(非常用)」
 まるで被災地への差し入れのような品々に添えられていた手紙の中のあまりにも力強い一節が、登美彦氏の心を打った。


 「どうか死なないでください」


 「まことに然り。死んで花実が咲くものか!」
 登美彦氏は頷きつつ、お手紙を箱にしまった。
 そして晩ご飯をきちんと喰おうと誓うのであった。