登美彦氏、陸の孤島へ行きたがる。

 
 以前にも一度書いたことだが―
 「忙しい、忙しい」と忙しがっている人間ほど、実は大して忙しくない。
 黙って手を動かす人ほど着実に多くの用事を片づけているものだ。
 そういうことがある。 
 それゆえに、「忙しい」と呟いてばかりいる登美彦氏は忙しくないはずである。
 すきあらば己を甘やかそうという魂胆にちがいない。


 〆切去ってまた〆切、という登美彦氏の状況を眺め、同僚の一人が言った。
 「ナゼそんなに生き急いでいるんですか?もうすぐ死ぬんですか?」


 なるほど登美彦氏の顔は今にも死にそうだ。
 登美彦氏自身、トップランナーが放映されたときに愕然としたという。
 「この男、痩せすぎ!」
 しかし登美彦氏はすぐに食事を取るのをさぼるのである。
 どれだけ反省してもそうなるのだ。
 「ずらりとならんだカロリーメイトをひたすら喰っていくだけでよいならば、どれだけ楽であろうか。何も考えずに、ひたすら仕事をすることができるではないか!」
 もちろん、美味しいご飯は大好きなのだが、
 一人ではなかなか美味しいご飯を食べる機会がない。
 美味しくないものを無理に詰め込むぐらいならば、奥ゆかしいカロリーメイトがいい。
 それが登美彦氏の流儀である。
 明らかに、誤っている。


 登美彦氏は「忙しい」と主張し、「嫌になった!」と言った。 
 そして「そうだ、旅行に行こう」と呟く。
 行けないにもかかわらず、いろいろ考えた。
 衝動的に「旅と鉄道」を買ってみたりもした。


 「京都駅から寝台列車あかつきに乗れば、翌朝には長崎ですよ。ちゃんぽんを食べて、カステラを買おう」
 最近、登美彦氏は「あかつきあかつき」ばかり言っている。
 登美彦氏は長崎には一度しか行ったことがないが、あの街がたいへん好きである。
 「もし長崎が無理ならば、近鉄特急に乗って伊勢志摩へ行くというのもいい。灯台へ行くのだ。そしてエイハブ船長みたいな灯台守の老人から、昔話を聞くのだ」
 登美彦氏はさらに言う。
 「もし伊勢志摩が駄目ならば、もうホントどこでもいい。陸の孤島になれば、なおいい。橋が鉄砲水に流されてしまって、電話線も切れてしまい、もう誰とも連絡がつかなくなる。そして豪華な洋館に閉じこめられ、なぜかゴージャスなハムとか、なんだか美味しい食べ物ばかりがふんだんにあり、上等なふかふかの長椅子がならべてある図書室もあり、どこへも出かけられないから同宿の美女と毎晩バックギャモンをしながら和やかに語らって閑を潰す。美女と閑を潰す!よいか、諸君!美女と閑を潰す!いかにも殺人をおかしそうな怪しい人たちもうごうごしているが、今か今かと思いながらも連続殺人事件はちっとも起こらない。そうやっているうちに日々は過ぎ、そして〆切は過ぎる。しかし、しょうがないのだ、編集者の方々!だって陸の孤島なのだから!美女と閑を潰すしか手はないのだから!」


 登美彦氏は呟いた。
 「陸の孤島でないかぎり、真のリフレッシュは不可能だぞ!」