「父の発つ日」(たぬき第五話)
生きてゆくかぎり、サヨナラという出来事と袂を分かつことはできない。
それは人間であろうと天狗であろうと、狸であろうと同じことだ。
サヨナラには色々なものがある。哀しいサヨナラもあろうし、時にはありがたくてせいせいするサヨナラもあろう。盛大な送別の宴にて賑やかにサヨナラする者もあれば、誰に見送られることもなく一人でサヨナラする者もある。長いサヨナラがあり、短いサヨナラがある。いったんサヨナラした者が、照れくさそうにひょっこり帰ってくるのはよくあることだ。そうかと思えば、短いサヨナラのように見せかけて、なかなか帰って来ぬ者もある。そして、二度と戻ってこない、生涯にただ一度の本当のサヨナラもある。
この世にサヨナラするにあたり、我らの父は偉大なるその血を、律義に四つに分けた。
長兄は責任感だけを受け継ぎ、次兄は暢気な性格だけを受け継ぎ、弟は純真さだけを受け継ぎ、私は阿呆ぶりだけを受け継いだ。てんでバラバラの兄弟をつなぎ止めているのは海よりも深い母の愛と、偉大なる父とのサヨナラである。
一つの大きなサヨナラが、遺された者たちをつなぐこともある。