登美彦氏、悩む


 森見登美彦氏はいろいろと悩んでいる。
 「悩み多きお年ごろである」という。
 虫歯にも悩む。
 癖毛にも悩む。
 来週末にまたインタビューを受けに東京へ行かなくてはいけないことにも悩む。
 サイン会をする約束をしてしまったことにも悩む。
 京都のことを書いているくせに京都のことを知らないことにも悩む。
 忙しくて「カポーティ」を観にいけないことにも悩む。
 大原へ行ってわらべ地蔵を撫でられないことにも悩む。
 手がつけられないほどモテモテであることにも悩む。
 泣く子も黙るハンサムガイであることにも悩む。
 悩みすぎてウブ毛が抜けて「伝説の人肌魚ハダ色ナマズ」の如くお肌スベスベなことにも悩む。
 腹が減ってきたことにも悩む。
 報告するような華々しい出来事が身辺にないことにも悩む。


 まあこれらは良いとして。
 一番悩むのは、書くべきものがたくさんあることである。悩んでいる間に机に向かえばよいと思われるが、少し気を抜くと身体は自然に机を離れ、ぬらりくらりと詭弁踊りを踊りだす。詭弁踊りを踊るくせに、登美彦氏は弁の立たない正直者なので、華麗なる詭弁を弄して編集者を煙に巻き、締切を半年延ばしたりすることはできないのである。


 二年の沈黙を破って、新刊を出すのだから、もっと浮かれて良いはずだが、登美彦氏はだんだん浮かれる気分ではなくなってきた。十一月の登美彦氏は底抜けに多忙になるからである。書かなくてはならぬことが三つあるらしい。
 「たしか三つである」
 登美彦氏は頼りない記憶を探る。「だが本当は四つなのだし、五つにしろと仰る方もあり、今書いているものが難航したりすれば六つになる」
 「なんでそんなことになったのだい?」と問われると、登美彦氏は「なんだかそうなってしまったのだから仕方がない」と言う。
 登美彦氏は国語の教科書に載っていた「あの坂を越えれば海が見える」という文章を思い出すという。
 「あの締切を越えれば楽になる」
 そう思いながら、登美彦氏はえっちらおっちら、へんてこな文章を闇雲に書きつづってきたが、そうしてしばらく暮らしてみて得た結論は「どの締切を越えても楽にならん!」ということであったそうだ。「むしろだんだん切羽詰まってくる!」


 そして登美彦氏は、書き渋っては詭弁踊りを踊り、仕事を後ろへ追いやって、来るべき多忙の日々への伏線を張りつつある。DVDで「ナイスの森」をチラチラと観たりする。浴衣姿の池脇千鶴をことさら凝視したりする。あくまで凝視してみただけで「他意はない」と言い張る。
 ようするに、登美彦氏はいささか参っている模様。