第二話「果実の中の龍」
先輩の下宿に通い、その言葉に耳を傾けていた頃のことを思いだす。
電気ヒーターで指先を温めながら物語る先輩の横顔や、文机の上にある黒革の大判ノート、部屋に積み上げられた古本の匂い、電燈の傘にからみつくパイプ煙草の濃い煙―大学に入ったばかりの私には、京都の街で行き当たる一切が物珍しく見えたためでもあるだろう、先輩にまつわることはその一つ一つが琥珀へ封じられたような甘い色を帯びて、記憶の中にある。
その一連の想い出が特別な重みをもっているので、まるで学生時代のおおかたを先輩の下宿で過ごしたように錯覚するけれども、実際のところ、我々の交友はわずか半年間のことでしかなかった。
私が二回生になった春、先輩は私の前から姿を消した。
我々が会うことは二度となかった。
先輩は青森県下北半島の根にあたるところで生まれた。野辺地という街だという。実家は戦後の農地改革で没落した、かつての大地主だった。先輩は高校を卒業するまで街から離れたことがなかったが、大学受験の機会をとらえて京都へやってきた。それ以来、実家にはほとんど帰っていない。大学では法学部に属している。大学二回生から三回生の頃に、まる半年休学して、シルクロードを旅し、イスタンブールに達したことがある。そして今は、司法試験にそなえて勉強している。
以上が、先輩について当初私が知り得た一切である。
先輩に出会った時、私は十八歳、先輩は二十二歳であった。