森見登美彦氏は机に向かっているのに飽き飽きしたので、映画を観に行くことにした。
先日の昼休み、登美彦氏は同僚から借りた「ハチミツとクローバー」を読んだ。そして「はぐちゃんがえらいことになっとるがな!」と、喫煙ルームでちょいと唸った。
登美彦氏は映画「ハチミツとクローバー」をなんとしても観なければならなかった。
なぜならば、「観る観る」と言っていたものの多忙のためになかなか観ることができず、職場の同僚から「言行不一致の豚野郎」と言われたからである。おそらくこの場合の「豚野郎」とは、ベイブみたいな愛すべき豚のことであろう。
「そんならヨシ!」と登美彦氏は言う。
そうではなかろうというのが大方の見解である。
心優しき女性編集者から「一人で行けないなら一緒に行きますか」と誘われたこともある登美彦氏だが、もしやうっかり感涙にむせぶところを目撃されては、もう今後死ぬまで言いなりにならなければならぬ。「それも悪くない」と言えるほど登美彦氏は度量の大きい男ではない。
これはやはり自分で観に行かねばならぬ。
でもやっぱり一人で行くのも何なので、登美彦氏は戦友を誘うことにした。
「男二人でハチクロか・・・」と、やる気のないことこの上ない返事が来た。戦友は「今宵はコンパの破壊工作で忙しいから、そのミッションはインポッシブルだ」と言った。
「じゃあ一人で行く」
「男一人でハチクロか・・・」
戦友はしつこく言う。
登美彦氏は「黙りたまえ」と一喝して、映画館へ赴いた。
映画館に入ると、ハチクロを観ようとしているのは、女性同士か男女であって、驚くほど男一人の人間が少なかった。さっそく「スーパーマンにすればよかった・・・」と登美彦氏は後悔した。
そして映画が始まると、登美彦氏は座席の中で身もだえした。
「なんということだ。あまりに映画が眩しくて、燃え尽きて灰になりそうだ」
登美彦氏は隠れロマンティストのつもりであったが、それでも「ハチミツとクローバー」の実写映画は美しすぎて耐えられぬ。
「私もまだまだ悟りが開けていない!」
登美彦氏は、映画の配役があまりにもマンガに忠実なので仰天した。特に蒼井優と関めぐみは、マンガの中から出てきたのかと思った。
「同じ片想いでも、大学が違うと、かくも雰囲気が違うか」
片想い作家という変梃な肩書きをつけられたこともある登美彦氏はしみじみ思ったという。
大学の違いだけではあるまい、というのが大方の見解である。
映画を見終わると夜は更けていた。
登美彦氏は定食屋で夕食を取ってから駅へ歩いていった。三条大橋の上に立つと、東の空が稲妻で明るく輝いていた。
帰宅してから登美彦氏は「燃え尽きて灰になった」と戦友に知らせた。
戦友は「あまりにも無謀な賭けだったな」と述べた。