登美彦氏、新境地を開かない。


 筆者は元旦早々、登美彦氏の近況を報告した。
 それから早くも半月が過ぎ去った。
 読者諸賢!
 どうなっているのだろう。すでに我々に与えられた2011年のうち、二十四分の一が過ぎ去ったのである。
 その間、登美彦彦氏はいったい何をしていたというのか。


 登美彦氏はおおむね机上で呻吟していた。
 寒気の厳しい巷を行く冬装束の麗人たちは言うだろう。
 「登美彦氏はいつだってそうじゃないの!」
 「また懲りずにやってるワ!あきれたものね!」
 麗人からそんな言葉を投げかけられるのを、登美彦氏は意外に好む。
 しかしそんなささやかに変態的な歓びをもかき消してしまうほどに、締切次郎たちの攻撃は激しいのであった。風雲登美彦城は春を待たずに陥落するかもしれない。
 ちなみに「風雲登美彦城」とは、締切次郎たちの攻撃があんまり激しいときに登美彦氏が立て籠もる架空の城である。
 

 これはふしぎなことである。
 彼は年始にあたって、「できるだけ怠け者であること」を抱負として掲げた人間ではなかったか。
 なぜそんなことになるのか。
 しかし彼は重要な事実を失念していたのである―自分が戦わねばならぬ締切次郎たちは、もはや自分で決めたものではないということを。
 今そこにある締切次郎たちは、2010年の登美彦氏が持ち前の八方美人ぶりを発揮して約束したものたちである。2010年の登美彦氏は、2011年の登美彦氏のことなど考えてもいなかった。「きっと来年の自分はすごく才能と自己管理能力に満ち溢れた尊敬すべき男だろう、そうに違いない!」と考えて、すべてを未来の己に丸投げしたのである。
 過去の自分による丸投げによって苦境に陥ったことのない人間は、全世界に皆無のはずである。
 そしてその苦境は誰のせいにもできないのである。
 誰のせいにもできないことほど腹の立つことはない。


 そういう次第で、登美彦氏は右往左往している。
 右往左往するほどに頭はカラカラになって、絞っても絞っても何も出ない。
 「もはや我が小説家人生もここで終わりか!」
 思い詰めた登美彦氏は、萩尾望都さんと対談で会ったとき、「私はイッタイゼンタイどうすればいいのでしょう!」と訴える暴挙に及んだほどである。
 そして萩尾さんといっしょに生まれて初めて上海蟹を食べながら、「上海蟹を食べるのはなんとタイヘンなことか!めんどくさい!」と叫んだのであった。そして「京都の四畳半で『トーマの心臓』や『残酷な神が支配する』を読んでいた自分が、まさか萩尾望都さんといっしょに上海蟹を食べることになるとは思わなかった!」と思ったという。


 そんな最中、『四畳半王国見聞録』がちゃくちゃくと誕生に向けて準備中である。
 登美彦氏の第十一子である。
 近日中に、筆者はもう少し詳しく、この子の人柄について書くことになるだろう。
 『ペンギン・ハイウェイ』によって新境地を開いたかと見せかけて、瞬く間にそれを閉じ、よりにもよってもっとも四畳半的な小説を世に送り出すのは、これは出版社の意向というよりも、ただただ登美彦氏の趣味と運命のなせるわざであると言わざるを得ない。


 「真面目に新境地を開くつもりがあるのですか?」
 筆者の真摯な問いに対して、登美彦氏は以下のように答えた。
 「パタパタ容易に開ける新境地ならば、意地でも開いてやるものか。開かれるべき新境地は、時が充ちれば自ずから開かれるであろう。あわてないあわてない。ひとやすみひとやすみ」
 そんなことを言いながら八年目である。
 信じられない。
 まったく呆れたものである。