十一月、森見登美彦氏は、国立民族学博物館の西尾哲夫教授とファンタジーについて語るらしい。西尾先生には一昨年の『熱帯』以来、お世話になっている。『ガラン版 千一夜物語』の翻訳も完成したばかり。
というわけで、詳細は下記をご参照ください。
そして今夜はヨーロッパ企画の上田誠氏との三度目の生配信である。
こちらもよろしくお願いいたします。
おかげさまで『四畳半タイムマシンブルース』は着実に増刷を重ね、先日十万部に達したのである。
とはいえ、あまり得意そうな顔もできない。
そもそも上田誠氏とヨーロッパ企画による「サマータイムマシン・ブルース」という名高い原作があり、そこへ湯浅政明監督のアニメ「四畳半神話大系」の知名度が加わり、さらに中村佑介氏のイラストレーションが表紙を飾る。登美彦氏ひとりの奮闘努力で成し遂げたわけではなく、目のくらみそうな高下駄を履いている。
これではなかなか自慢しにくい。無念である。
……というような話をするのかどうか、何の話をするのか決まっていないが、9月29日の午後十時から上田誠氏と生配信をする。
「四畳半タイムマシンブルース」の出版と重版を遅まきながら祝う会。
お時間のある方は29日に生配信でお会いしましょう。
ブログでお知らせをするのを怠けてしまったが、下記サイトの「story for you」という企画において、登美彦氏は八月三十一日を担当し、「花火」という掌編小説を書いた。明朗愉快なものを書くつもりが、近年欠乏気味のユーモアを『四畳半タイムマシンブルース』で遣い果たしてしまったらしく、『夜行』を思わせる幻想的なものに仕上がった。
公開された翌日、登美彦氏が「ちょっとやりすぎたかなあ」とションボリしていたら、めずらしく母親がメールで褒めてくれたのである。
今作は八月十一日と十二日の物語である。
ちょうど今日と明日、作中作外がリンクする。
というわけで、読むなら今である(だからといって、「明後日以降に読んではダメ」ということはまったくありません)。
森見登美彦氏がこのようにバッチリのタイミングで本を出せることなどめったにない。それが今作にかぎってどうして可能であったかというと、例によって登美彦氏の執筆が遅れに遅れ、しょうがなく出版を半年延期したからである。延期したらピッタリ夏になった。乗るつもりだった電車に乗り遅れて、「これはもうダメだ」とションボリしていたら、電車のほうも到着が遅れていて、思いがけず乗れてしまったような感じである。
したがって、威張れることは何ひとつない。
先日、『四畳半タイムマシンブルース』の増刷が決まった。
こんなにも早く増刷になるのは小説家人生で初めてのことである。
出版前、登美彦氏はうじうじと心配していた――もしもこの小説の売れ行きが芳しくなかったら原案者の上田誠氏もションボリの巻き添えになるわけで、さぞかし忘年会は哀しいものになるであろう。我らは涙に濡れつつ冬空に咆哮し、清らかなおっさんたちは清らかな怪獣と化すであろう。寒風の吹きすさぶ鴨川べりは我ら怪獣たちのいるところとなるのだ……Where the Wild Things Are!
しかし幸いにも、現在の順調な売れ行きは明朗愉快な忘年会を示唆している(コロナの影響には不安があるにせよ)。読者の皆様に感謝いたします。
さて。『四畳半タイムマシンブルース』の出版にあわせて、「オンライン読書会」なるものが開催される。登美彦氏も初めてのことなので、いったいどんなふうになるのかよく分からないのだが、これもまた、今だからこそできる体験かもしれない。
ご興味のある方は是非よろしくお願いします。
https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01dqju113g8jc.html
森見登美彦氏、じつに久しぶりの「腐れ大学生」小説である。
『四畳半神話大系』から十六年、それだけの歳月を超えて、かつて書いたキャラクターをふたたび書くのは容易なことではない。「私」にしても「小津」にしても「明石さん」にしても当時てきとうに書き散らかした筆にまかせて自由に生みだしたものであるから、計算して再現するのは不可能である。
というわけで、『四畳半神話大系』とまったく同じとは言いにくい。
一番大きなちがいは、全体的に丸くなったというか、みんな可愛らしくなったという点であろう。主人公の「私」にしてもそうだし、とりわけ「明石さん」がそうである。その理由としては、登美彦氏が歳を重ねて学生時代から遠くはなれたからということもあるし、中村佑介氏によって描かれた「明石さん」があまりにも素敵だったからということもある。素敵なものを素敵に書きたくなるのは人情である。
とはいえ、この作品を書くことによって、『四畳半神話大系』の世界にふたたび触れることができたのは登美彦氏としても嬉しいことであった。『四畳半タイムマシンブルース』を書くという行為は、まさにタイムマシンに乗って十六年前へ出かけることなのであり、そんな時間旅行を実現できたのはヨーロッパ企画の「サマータイムマシン・ブルース」という作品のおかげである。
ところで原案者たる上田誠氏は、タイムマシンというか、タイムパラドックスというか、とにかくそういうたぐいのややこしい現象に対して、あいかわらず興味津々のご様子である。現在公開中の映画「ドロステのはてで僕ら」にそのヘンタイ的情熱が横溢しているのは誰もが認めることであろう。
ちなみに「ドロステ」とは公式サイトの説明によると、
「絵の中の人物が自分の描かれた絵を持ち、その絵の中の人物も自分が描かれた絵を持ち……という、無限に続く入れ子のような構図のこと」
かつて登美彦氏が『四畳半神話大系』を書き、それを上田誠氏が脚本を書いてテレビアニメ化し、さらに登美彦氏が上田誠氏の「サマータイムマシン・ブルース」を『四畳半神話大系』の世界に持ちこんで小説化したわけだが、これを上田誠氏がふたたび脚本化してアニメ化するようなことにでもなったら……この清らかなおっさん二人組によるキャッチボールこそドロステくさい。文学的ドロステくさい。
というのは冗談であるが、『四畳半タイムマシンブルース』というタイムマシン作品が出版される夏、こちらもまたタイムマシンをめぐる映画「ドロステのはてで僕ら」が公開される――これも何かの御縁である。運命の赤黒い糸である。
つねづね森見登美彦氏の考えていることがある。
今の京大生というものは、きっと登美彦氏のことを、
「なんやアイツ」
と思っているにちがいない。
登美彦氏が京大生なら、そう思う。
ひとつだけ言わせてもらうなら、登美彦氏の作品に登場する「大学」と、現実に存在する京都大学はイコールではない。かといって「イコールでない」とも言い切れない。京都大学で過ごした学生時代は登美彦氏に多大な影響を与え、その経験から生まれた妄想が作品に持ちこまれているからである。一体どこまでが「京大的文化」であり、どこまでが「登美彦氏の妄想」なのか?もうグチャグチャである。
だから「京大的文化」について語るのはムツカシイ。
いや、そもそも、そのような「文化」が本当にあるのだろうか?
ご興味のある方は本書、是非よろしくお願いいたします。
先日、森見登美彦氏は小説「四畳半タイムマシンブルース」の連載開始を祝って、劇団ヨーロッパ企画の上田誠氏と生配信をおこなった。
次は万城目学氏もまじえた三人である。
6/30(火)22:00~ 万城目さんと森見さんと上田が近況を報告しあう会
とくにこれといったテーマはないらしいので、毎年開催されている忘年会のごとく、心の清らかなおっさんたちが集い、万城目学氏のおもしろ近況報告を謹んで拝聴する夜になるのであろう。それにしても、同じメンバーでフジテレビ「ボクらの時代」に出演したのはいつであったか。驚くなかれ、まるまる三年前である!という驚きの事実に登美彦氏はあらためて驚きなのである。光陰矢のごとし。