沈黙"しない"読書会について

 

熱帯

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 昨日、森見登美彦氏は紀伊國屋書店梅田本店にてサイン会を行った。いささか風邪気味であった登美彦氏も、読者の皆様の熱気によってホカホカに温められたのであった。あたかも温泉につかったかのごとし。お越しいただいた皆様、ありがとうございました。

 

 ところで『熱帯』の公式ページが新しくなったようである。 

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 そして現在、「沈黙"しない"読書会」と題して、読書会イベントの参加者を募集中である。「我こそは」と思う読者の方はぜひとも応募していただきたい。参加者は抽選で決まるようだが、募集期間が短いので注意されたし。

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 そしてこちらも引き続きよろしく。 

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『熱帯』発売と「王様のブランチ」

熱帯

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 『熱帯』が 全国の書店に姿を見せつつあるにもかかわらず、森見登美彦氏は風邪っぴきで自宅に引き籠もっている。書店へ偵察に出かけた妻から「ちゃんと並んでいます」と報告を受けることしかできなかった。我が子の旅立ちの日をハツラツとした気持ちで迎えたかったが、こればかりはしょうがない。うがい手洗いに気をつけていても、引くときは引くのが風邪である。

 土曜日の「王様のブランチ」に登美彦氏が登場する。登美彦氏は吉田山を久しぶりに歩きまわりつつ、『熱帯』についてモソモソ語った。そのモソモソぶりは大目に見ていただきたい。なぜなら登美彦氏はテレビで輝く人ではなくて、机上で輝く人だからである。そうとも。

 『熱帯』を買おうかどうか迷っている人は、下のような「試し読み版」もある。第一章を読んで「つまらん!」ということであれば登美彦氏は何も言うまい。サヨウナラまた会う日まで。しかし「オモシロイ!」ということであれば、ぜひ単行本でも電子書籍版でも購入していただければ幸いである。

 なお、この小説は「幻の本」についての小説だから、「単行本で読む方がちょっぴり味が濃く感じるかもしれない」と登美彦氏は小声で呟いている。

熱帯 試し読み版 (文春e-book)

熱帯 試し読み版 (文春e-book)

 

 

『熱帯』サイン会のお知らせ

熱帯

熱帯

 

 『熱帯』の出版を記念して、森見登美彦氏のサイン会が開催される模様である。

 → 三省堂書店有楽町店の受付は終了しました。

 → 紀伊國屋梅田本店の受付は終了しました。

 申し込みありがとうございました。

 

『熱帯』の誕生

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 小説についての小説――。

 そんなアヤシゲな題材に手を出したのが運の尽き、森見登美彦氏はこの一年半というもの『熱帯』の世界に閉じ籠められていた。ようやく脱出した今になっても、「自分は本当に帰ってきたのか?」という疑問がしきりに胸をよぎるのである。どうして自分はあんな無謀な冒険に乗りだしたのだろう。「小説についての小説を書く」なんぞ血で血を洗うようなものであって、迷宮に閉じこめられるのはアタリマエではないか!というわけで、森見登美彦氏史上最大の問題作ができあがった。もはや精根尽き果てたので、「二度とこんな題材には手を出すまい」と登美彦氏は誓ったのである。

 11月16日(金)発売予定である。

 

熱帯

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 特設サイト 

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 公式twitter 

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登美彦氏、岩井圭也氏と対談する

 先日、森見登美彦氏は狸谷山不動院を訪ねてトークイベントを行った。「護摩祈祷」によって始まるという不思議なイベントで、たいへん貴重な経験であった。
 狸谷山不動院の皆様、売店の皆様、そして長い石段をのぼってご参加いただいた皆様に御礼を申し上げます。

 そしてまた登美彦氏は、今年のフロンティア文学賞を受賞された岩井圭也氏と京都にて対談をした。その模様は「野性時代」10月号に掲載されている。『永遠についての証明』は選考委員三人の意見が一致した久しぶりの受賞作である。
 登美彦氏は「数学者」という存在に昔から憧れてきた。「小説家」とは「すごく近いような」「とても遠いような」不思議な距離感があるからにちがいない。『永遠についての証明』を読んでいると、なんだかそういうカッコイイ「数学者」を疑似体験しているような気持ちになれて嬉しいのである。
 岩井圭也氏の今後の御活躍を祈るものである。

 

 
 
永遠についての証明

永遠についての証明


 ようやく『熱帯』という悪夢的迷宮から脱出して、少しはノンビリできるかと思っていたが、『熱帯』を書いている間「知らんぷり」してきた幾つもの用件が押し寄せてきて登美彦氏を取りかこんでいる。なんだかずっと慌ただしい気分なのである。
 責任者はどこか。

 映画「ペンギン・ハイウェイ」公開


 映画「ペンギン・ハイウェイ」が8月17日から公開される。

 登美彦氏は断固として主張する。
 「このような映画こそ夏に観に行くべきである!」
 この映画を劇場で観ることができる夏はもう二度とこない。

 できるものなら登美彦氏もスケジュールに余裕をもってこの日を迎え、映画の売り上げに貢献すべく、朝から晩まで映画館に立て籠もりたいところであった。しかし昨年から死闘を繰り広げてきた自分史上最大の怪作『熱帯』がようやく完成を迎えつつある今日、涙を呑んで書斎に立て籠もらねばならない。登美彦氏はこの机上から映画「ペンギン・ハイウェイ」の活躍を祈るものだ。

 ところで登美彦氏の父親は、以前からずっと『ペンギン・ハイウェイ』こそ登美彦氏の最高傑作であると主張してはばからず、出版から八年経った今日、こうして『ペンギン・ハイウェイ』が注目を浴びる機会を得たことについて、「やはり俺の目は正しかったのだ」と鼻高々である。そして「観客動員に貢献するために映画は毎日観に行く」と豪語している。

 原作をまだ読んでいない人はこの機会にぜひ手にとっていただきたい。映画を観る前に読んでも、観た後に読んでも、きっと楽しいはずである(と登美彦氏は主張している)。 
 
 

ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)

ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)

 また公式読本なるものも発売された。
 登美彦氏のエッセイ、インタビュー、アオヤマ君を主人公とした短編「郵便少年」も収録されている。
 こちらもぜひよろしくお願いいたします。

 

ペンギン・ハイウェイ 公式読本

ペンギン・ハイウェイ 公式読本

 
 ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)
 

 映画「ペンギン・ハイウェイ」が完成した。
 これまでにも経験のあることだが、森見登美彦氏は自作の映像化に馴染むまで時間がかかる。現在、登美彦氏は映画「ペンギン・ハイウェイ」を繰り返し見て、自分を馴染ませている最中である。詳細な感想を述べるのは慎むべきであろう。
 とにかく登美彦氏は呆れた。
 「よくこんなガムシャラな映画を実現したなあ!」
 原作への愛が眩しかった。
 あまりの眩しさに灰になりそうだった。
 そして予想どおり登美彦氏はひとり涙したのである。
 映画「ペンギン・ハイウェイ」は今夏八月十七日全国ロードショーである。
 なにとぞ宜しくお願いいたします。


 公式サイト http://penguin-highway.com/


 この機会に『ペンギン・ハイウェイ』が角川つばさ文庫にも入るという。コミック版も七月に刊行される模様である。
 こちらも宜しくお願いいたします。


 

ペンギン・ハイウェイ (角川つばさ文庫)

ペンギン・ハイウェイ (角川つばさ文庫)


 

 六月八日の記述についての反省文。


 筆者があんなふうに無用の反論を書いてしまったのは、学生時代の登美彦氏のみっともなさや情けなさ、哀しみや煩悶、それらの陰影と切り離せない愛すべき事柄の一切が、「モテモテであった」という一言のもとに切って捨てられるように思われたからである。
 登美彦氏は自身の学生時代の実感に対して、過剰な「愛憎の念」を抱いている。無闇に四畳半小説を書いてしまったことへの当然の報いであろう。だからこそ「自分の青春はそんなものではなかった」とうるさく言いたくなるのだ。
 しかし、登美彦氏の個人的事情や感慨、拘泥するその微妙なニュアンスなんぞ、他人にはなんの意味も持たない。
 あのように衝動的な文章を書くことは、当日誌の運用方針に反している。そういうわけで六月八日の記述は削除させていただきたいと思う。できるだけ努力しているのだが、それでも数年に一度、筆者はかくのごとき恥ずべき失敗を執りおこなう。
 読者の皆様のお許しを願うものである。
 
 というようなことを、連載小説「シャーロック・ホームズの凱旋」最終回をようやく書き上げ、憎むべき締切地獄から解放された今日、登美彦氏はじっくりと考えたわけである。
 中央公論新社「小説BOC」は次号をもっていったん終了となる。デビュー以来十五年、登美彦氏がその背中を追いかけてきた(つもりの)伊坂幸太郎氏との初対談も収録される。
 手に取っていただければ幸甚である。
 何卒よろしくお願いします。

 https://www.amazon.co.jp/dp/4120051021/

 




 映画「ペンギン・ハイウェイ」の新しい予告ができた。
 主題歌は宇多田ヒカルさん。いくらボンヤリ生きているとはいえ、森見登美彦氏も宇多田ヒカルさんの名前は知っている。まさか自分の作品と宇多田ヒカルさんがつながりを持つとは、一〇年前には考えもしなかった。不思議なことである。
 映画は八月十七日公開なのでヨロシクお願いします。
 かつて富山のPAワークスへ遊びに出かけたとき、ちょうど完成したアニメ「有頂天家族」の第八話を見る羽目になった。登美彦氏は原作者であるにもかかわらず号泣、その後にひかえていた吉原監督との対談にも支障が出たのである。そういうのはまことに原作者の沽券にかかわる。そして映画「ペンギン・ハイウェイ」でも同様の現象が登美彦氏をもみくちゃにするであろうことは想像に難くない。それゆえに登美彦氏は試写会へ行くことを渋りに渋っている。


 「有頂天家族」といえば、今週末は下鴨神社でイベントが行われる。登美彦氏もフラリと現れる予定で、妙な緊張感が漂うことになるのも気まずいので前もって白状しておくが、まだ第三部の原稿は登美彦氏の胸の内にだけ存在している。まことに申し訳ないと思いつつ、「どうしようもないのだ」と言わざるを得ない。なぜなら登美彦氏は他にもいろいろなものを書く約束があり、しかもそれらをバンバン片付けていけるような小説家的膂力がないからである。
 もどかしいもどかしい。ひとやすみひとやすみ。


 また、月刊「モーニング」モーニング・ツー」において来月から『太陽の塔』のマンガ連載が始まる。十五年越し「まさか」のマンガ化、2003年の出版当時腐れ大学生だったという担当編集者執念の結実である。作者のかしのこおりさんは、寒々しい四畳半にムニムニと奇怪な妄想が入りこんでくる感触を、マンガならではというべき面白さで描きだしている。登美彦氏も連載をたいへん楽しみにしている。
 月刊「モーニング」モーニング・ツー」をヨロシクお願いします。
 (追記:雑誌名を間違っておりました)


 


 映画化やイベントやマンガ化はありがたいことである。
 それがたいへん幸福なことであることは登美彦氏も分かっている。しかし結局のところ、それは過去の登美彦氏の遺産というべきであり、もはや過ぎたことなのである。現在の登美彦氏は何ひとつ威張れない。小説家は新作を書かなければしょうがない。
 というわけで、登美彦氏は早く次作『熱帯』の世界から脱出したいと願っているのだが、なかなか出口が見えないのだ。
 『熱帯』は「『熱帯』という小説についての小説」である。同じような構造を持つ作品としてミヒャエル・エンデの『はてしない物語』が思い浮かぶ。登美彦氏は油断していた。まさか本当に「はてしない」(=書き終わらない)物語になってしまうとは……。そもそもこういう呪われた手法に手を出すべきではなかったのではないか。しかしここまで沖に船出して、今さら引き返すわけにもいかない。もはや陸地は見えない。行きつくところまで行くしかないのである。