六月八日の記述についての反省文。


 筆者があんなふうに無用の反論を書いてしまったのは、学生時代の登美彦氏のみっともなさや情けなさ、哀しみや煩悶、それらの陰影と切り離せない愛すべき事柄の一切が、「モテモテであった」という一言のもとに切って捨てられるように思われたからである。
 登美彦氏は自身の学生時代の実感に対して、過剰な「愛憎の念」を抱いている。無闇に四畳半小説を書いてしまったことへの当然の報いであろう。だからこそ「自分の青春はそんなものではなかった」とうるさく言いたくなるのだ。
 しかし、登美彦氏の個人的事情や感慨、拘泥するその微妙なニュアンスなんぞ、他人にはなんの意味も持たない。
 あのように衝動的な文章を書くことは、当日誌の運用方針に反している。そういうわけで六月八日の記述は削除させていただきたいと思う。できるだけ努力しているのだが、それでも数年に一度、筆者はかくのごとき恥ずべき失敗を執りおこなう。
 読者の皆様のお許しを願うものである。
 
 というようなことを、連載小説「シャーロック・ホームズの凱旋」最終回をようやく書き上げ、憎むべき締切地獄から解放された今日、登美彦氏はじっくりと考えたわけである。
 中央公論新社「小説BOC」は次号をもっていったん終了となる。デビュー以来十五年、登美彦氏がその背中を追いかけてきた(つもりの)伊坂幸太郎氏との初対談も収録される。
 手に取っていただければ幸甚である。
 何卒よろしくお願いします。

 https://www.amazon.co.jp/dp/4120051021/

 




 映画「ペンギン・ハイウェイ」の新しい予告ができた。
 主題歌は宇多田ヒカルさん。いくらボンヤリ生きているとはいえ、森見登美彦氏も宇多田ヒカルさんの名前は知っている。まさか自分の作品と宇多田ヒカルさんがつながりを持つとは、一〇年前には考えもしなかった。不思議なことである。
 映画は八月十七日公開なのでヨロシクお願いします。
 かつて富山のPAワークスへ遊びに出かけたとき、ちょうど完成したアニメ「有頂天家族」の第八話を見る羽目になった。登美彦氏は原作者であるにもかかわらず号泣、その後にひかえていた吉原監督との対談にも支障が出たのである。そういうのはまことに原作者の沽券にかかわる。そして映画「ペンギン・ハイウェイ」でも同様の現象が登美彦氏をもみくちゃにするであろうことは想像に難くない。それゆえに登美彦氏は試写会へ行くことを渋りに渋っている。


 「有頂天家族」といえば、今週末は下鴨神社でイベントが行われる。登美彦氏もフラリと現れる予定で、妙な緊張感が漂うことになるのも気まずいので前もって白状しておくが、まだ第三部の原稿は登美彦氏の胸の内にだけ存在している。まことに申し訳ないと思いつつ、「どうしようもないのだ」と言わざるを得ない。なぜなら登美彦氏は他にもいろいろなものを書く約束があり、しかもそれらをバンバン片付けていけるような小説家的膂力がないからである。
 もどかしいもどかしい。ひとやすみひとやすみ。


 また、月刊「モーニング」モーニング・ツー」において来月から『太陽の塔』のマンガ連載が始まる。十五年越し「まさか」のマンガ化、2003年の出版当時腐れ大学生だったという担当編集者執念の結実である。作者のかしのこおりさんは、寒々しい四畳半にムニムニと奇怪な妄想が入りこんでくる感触を、マンガならではというべき面白さで描きだしている。登美彦氏も連載をたいへん楽しみにしている。
 月刊「モーニング」モーニング・ツー」をヨロシクお願いします。
 (追記:雑誌名を間違っておりました)


 


 映画化やイベントやマンガ化はありがたいことである。
 それがたいへん幸福なことであることは登美彦氏も分かっている。しかし結局のところ、それは過去の登美彦氏の遺産というべきであり、もはや過ぎたことなのである。現在の登美彦氏は何ひとつ威張れない。小説家は新作を書かなければしょうがない。
 というわけで、登美彦氏は早く次作『熱帯』の世界から脱出したいと願っているのだが、なかなか出口が見えないのだ。
 『熱帯』は「『熱帯』という小説についての小説」である。同じような構造を持つ作品としてミヒャエル・エンデの『はてしない物語』が思い浮かぶ。登美彦氏は油断していた。まさか本当に「はてしない」(=書き終わらない)物語になってしまうとは……。そもそもこういう呪われた手法に手を出すべきではなかったのではないか。しかしここまで沖に船出して、今さら引き返すわけにもいかない。もはや陸地は見えない。行きつくところまで行くしかないのである。

 今日マチ子さんの10周年


 

センネン画報 +10 years

センネン画報 +10 years


 今日マチ子さんが10周年を迎えたそうである。
 じつは森見登美彦氏はデビュー作の帯にコメントを書いた。
 新刊の特設ページにも言葉を寄せた。
 http://www.ohtabooks.com/sp/sennen/


 一足先に10周年(実質3年間の)を通過した人間として、
 働き者にちがいない今日マチ子さんのことを心配し、
 「ほどよく怠けましょう」
 と書いたものの、
 もちろん登美彦氏ほど怠ける必要はないのである。
 「なんだか全方位的にゴメンナサイ」
 あいかわらず登美彦氏は暗礁に乗り上げてヲリマス。

 日本ファンタジーノベル大賞と太陽の塔


 

隣のずこずこ

隣のずこずこ


 日本ファンタジーノベル大賞が復活した。
 その記念すべき最初の受賞作がこちらである。
 「火炎を噴く巨大な信楽焼きの狸を連れた女性が山奥の町を滅ぼしにやってくる」という冒頭はワケのわからないものであり、登美彦氏は選考委員として応募原稿を読み始めたとき「これは本当に面白くなるのだろうか?」と不安に思ったのであるが、読み進めるうちにそんな不安は生駒山の彼方へ飛んでいった。
 ワケのわからぬ話がワケのわからぬままにリアルに感じられてきて、読み終えたあとは切ないような哀しいような不気味なような、なんともいえない気持ちになってしまう。選考委員全員一致で決まった受賞作である。どうか読んでいただきたい。
 そして日本ファンタジーノベル大賞を今後もよろしく。
 「今年も作品をお待ちしております」


 日本ファンタジーノベル大賞2018
 http://www.shinchosha.co.jp/prizes/fantasy/


 

太陽の塔 (小学館クリエイティブビジュアル)

太陽の塔 (小学館クリエイティブビジュアル)


 あの岡本太郎の「太陽の塔」についての大百科。インタビューや写真、製作過程など盛りだくさんの内容である。森見登美彦氏のエッセイ「太陽の塔は『宇宙遺産』」が再録されている。
 太陽の塔が地上へ降り立ってから約半世紀。
 内部公開の一般予約も始まったようである。
 http://taiyounotou-expo70.jp/


 ついでに。
 太陽の塔が「なんとなく好きだ」という理由だけで、勝手に京都へ持ってきた登美彦氏の第十五回日本ファンタジーノベル大賞受賞作も読んでいただければ幸い(京都に太陽の塔はありません)。

 
 

太陽の塔 (新潮文庫)

太陽の塔 (新潮文庫)

 

「ペンギン・ハイウェイ」劇場アニメになる

 
 ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)


 公式サイト http://penguin-highway.com/


 森見登美彦氏の『ペンギン・ハイウェイ』が劇場アニメになる。
 この小説が刊行されたのは2010年のことで、気がつけばもう八年前である。『ペンギン・ハイウェイ』を書いたとき登美彦氏は三〇代になったばかりだったというのに、すでに不惑が迫っている。「四畳半神話大系」「有頂天家族」「夜は短し歩けよ乙女」に続いて四作品目のアニメ化ということで、それはもうたいへんありがたいことである。振り返れば迷走だらけであった三十代、これら初期作品の映像化によって登美彦氏は支えられてきた。
 2010年はちょうどアニメ「四畳半神話大系」が放送された年だった。偏屈な四畳半的世界が意外に注目されているという絶好のタイミングに、わざわざ『ペンギン・ハイウェイ』という毛色のちがう作品を出版して世の戸惑いを招いたことは、登美彦氏の経営的才覚のなさを示す。しかしその『ペンギン・ハイウェイ』が八年も経ってから映画になるのだから不思議と帳尻が合っている。ということは、登美彦氏はあんがい「デキる男」かもしれないのである。
 ともあれ、この映画化をきっかけにして『ペンギン・ハイウェイ』が新たな読者を獲得することを登美彦氏は祈っている。


 石田祐康監督とは二年前の春、ヨーロッパ企画の「ヨーロッパハウス」で初めて顔合わせをした。先日三月一日の記者会見で石田監督と久しぶりに会ったら、なんだかもう別人のように顔が変わっていた。丸い顔が長い顔になっていた。しかも髭モジャであった。
 「知らない間に監督が入れ替わった?」
 登美彦氏は一瞬疑った。しかしすぐに理解した。
 この二年間というもの、石田監督は雨の日も風の日も映画「ペンギン・ハイウェイ」実現のために苦闘してきた。ごつごつの岩が荒波に揉まれてすべすべの石になるように、二年間の苦闘が石田監督の顔を削りとってしまったのであろう。それはあたかも厳しい修行の旅から戻ってきた旧友と再会したような驚きだった。「丸い顔が長い顔になるほどの」努力を重ねて、監督は「ペンギン・ハイウェイ」に挑んでいるわけである。
 たいへんありがたく思いながらも、「どうかお身体を大事にしてください」と登美彦氏は監督に繰り返し伝えた。
 映画の完成まではまだ厳しい道のりが続くのだろう。


 記者会見が終わったあと。
 「大丈夫かなあ。無事に完成するかなあ」
 登美彦氏は有楽町を歩きながら言った。
 かたわらの編集者は微妙な顔つきをした。
 つまりそれは「あなたにはもっと危ぶむべきことがあるでしょう!」ということである。たしかに登美彦氏には他人の作品の完成を危ぶむ資格はない。『夜行』が出版されてからずいぶん経つ。その間、テレビアニメ「有頂天家族2」や劇場アニメ「夜は短し歩けよ乙女」、その他のイベントやエッセイ集『太陽と乙女』の出版によって、「なんとなく活躍している」ように見せかけて世間を欺いてきたが、小説家というものは新作を書かねばしょうがないものである。しかし石田監督のごとく「丸い顔が長い顔になるほどの」努力をしたら登美彦氏はおそらく成仏する。だから成仏しない程度の足取りで、次作『熱帯』完成へと通じる最後の坂を登っている。
 「あとちょっとなんですよ」
 登美彦氏は言い訳するように呟いた。
 『熱帯』の世界から生還したいと願っているのは、誰よりも登美彦氏本人である。 

エッセイ集『太陽と乙女』発売されました。


 太陽と乙女


 新刊『太陽と乙女』が書店にならび始めた。
 夜眠る前にでも、ぽつぽつ読んでいただければ幸い。
 以下はこの本の「まえがき」である。


 ひとつ考えてみていただきたい。
 眠る前に読むのはどんな本がふさわしいだろうか。
 たとえば「ムツカシイ哲学書を読めば眠くなる」という意見がある。しかしこれを毎晩の習慣にするのはどう考えても無理がある。たとえばアンリ・ベルクソンの『意識に直接与えられているものについての試論』がここにあるとして、こんなものは脳天が五月の青空のごとくクリアな千載一遇の好機を掴み、机に向かって修行僧のように読まなければ一頁たりとも理解できない。そんな凄まじい本を毎晩寝る前に読むのは苦行以外のなにものでもなく、すぐに放りだすのは明らかである。
 それならば面白い小説はどうだろう。しかしこれは誰にでも経験があると思うが、ひとたび面白い小説を読みだしたら中断するのが難しい。推理小説などは特にそうである。明日は早く起きなければならないのに犯人が気になって止められず、それなのに夜更かしの背徳感がいよいよ読書の楽しさに拍車をかけるから、もう止められない止まらない。
 それなら面白くない小説ならいいのかといえば、そんな本を読むのはやっぱり苦痛だから、先ほどの哲学書と同じ結論になる。
 そういうふうに考えていくと、これは意外に厄介な問題なのだ。
 私が枕元に置く本は長い歳月の間に移り変わってきた。高校生ぐらいの頃は星新一のエッセイ集『進化した猿たち』の文庫本全三巻が長く君臨していた。ここ数年の例を挙げるなら、岡本綺堂『半七捕物帳』やコナン・ドイルシャーロック・ホームズの冒険』、柴田宵曲編『奇談異聞辞典』、薄田泣菫『茶話』、吉田健一『私の食物誌』、興津要編『古典落語』……。しかし心にピッタリ合う本が思いつかない場合、寝床へ行く前に本棚の前でシロクマみたいにうろうろする。
 「眠る前に読むべき本」
 そんな本を一度作ってみたいとつねづね思ってきた。
 哲学書のように難しすぎず、小説のようにワクワクしない。面白くないわけではないが、読むのが止められないほど面白いわけでもない。実益のあることは書いていないが、読むのがムナしくなるほど無益でもない。とはいえ毒にも薬にもならないことだけは間違いない。どこから読んでもよいし、読みたいものだけ読めばいい。長いもの、短いもの、濃いもの、薄いもの、ふざけたもの、それなりにマジメなもの、いろいろな文章がならんでいて、そのファジーな揺らぎは南洋の島の浜辺に寄せては返す波のごとく、やがて読者をやすらかな眠りの国へと誘うであろう。
 あなたがいま手に取っているのはそういう本である。

サイン会的なもののお知らせ


 

太陽と乙女

太陽と乙女


 11月22日、エッセイ集『太陽と乙女』が刊行される。
 それにあわせて森見登美彦氏のサイン会的なものが開かれるという。詳細については下記をご参照ください。

 
 三省堂書店
 http://ikebukuro.books-sanseido.co.jp/events/2886


 大垣書店
 http://www.books-ogaki.co.jp/

『太陽と乙女』(新潮社)


 太陽と乙女


 森見登美彦氏は「エッセイ」をあまり書かない。
 そもそもエッセイに何を書けばいいのか分からないのである。
 自分の主張を書くべきだろうか。
 しかし、わざわざ書くべき主張がない。
 ならば体験を書けばいいのか。
 しかし、わざわざ書くべき体験がない。
 ならば妄想を書けばいいのか。
 しかし、それでは小説になってしまう。


 そういうわけで「エッセイって何?」と登美彦氏は毎度毎度苦悩しつつ、自分や世間を欺きながら「エッセイ風」のものを書いてきた。できるだけ書かないようにしているものの、2003年にデビューして早14年、塵も積もれば山となる。集めてみたら意外にある。
 「一冊にまとめたら『エッセイ』の書き方が分かるかも」
 さらに登美彦氏は軽い気持ちで言った。
 「せっかくだから小説以外の文章をぜんぶ集めよう」
 「承知しました」
 そう言って担当編集者は魔法の杖を振った。
 すると400頁を超える巨大闇鍋みたいな本ができてしまった。
 本書は読切エッセイや文庫解説のみならず、舞台版パンフレットに書いた挨拶文、マンガ版『夜は短し歩けよ乙女』のあとがき、『有頂天家族』第二部刊行遅延に関する弁明、大学生時代の日記、台湾の文芸誌に連載したコラムまで、ありとあらゆる小説以外の文章が放りこまれた「森見登美彦氏エッセイ(?)大全集」というべきものである。あまりにも味つけが濃いために、登美彦氏自身、半分読み返したあたりで胸焼けした。したがって読者の皆さんは本書を頭からぜんぶ読んだりする必要は全くない。ふわふわとイイカゲンに読むことを強く推奨するものである。
 本書のタイトルは『太陽と乙女』。
 新潮社から十一月二十二日に発売予定である。
 なお、本書をまとめた後も登美彦氏の悩みは解決していない。
 エッセイを書くことはやはりムズカシイ。


 エッセイ集の発売に合わせ、次のようなイベントがある。
 森見登美彦×吉田大助「登美彦氏、おずおずと自作を語る」
 http://www.shinchosha.co.jp/news/article/776/
 お時間のある方は宜しくお願いします。

もろもろお知らせ


 毎度のことで呆れるほかないが。
 次作『熱帯』の執筆が難航中のため、登美彦氏はとうぶん熱帯の島から帰ることができない。2017年の夏が終わるまでには帰ってくる――それはなんと甘い期待であったことか。これはもう死闘である。この日誌を更新する気力も湧かないのである。
 とはいえ、お知らせをしなくてはならない。


 

小説 - BOC - 7 (単行本)

小説 - BOC - 7 (単行本)


 森見登美彦氏が京都でおこなったイベントの詳細が掲載されている。
 タイトルは「京都のこわし方」。
 なお、今回「シャーロック・ホームズの凱旋」は休載である。


 また、映画「夜は短し歩けよ乙女」も発売された。
 こちらもよろしくお願いいたします。
 

 

 
 

森見登美彦氏、テレビで語らう


 森見登美彦氏がテレビで語らう予定である。
 お相手は上田誠氏と万城目学氏。
 なんだか万城目氏を冷たくあしらっていたような感触があるばかりで、一体なにを語り合ったものか、登美彦氏の記憶は朦朧としているが、おそらく有益なことは何ひとつ喋っていまい。この収録があった夜、渋谷の貸し会議室で万城目氏や上田氏と「ディクシット」で遊んだ。
 お時間のある方はどうぞ。
 「ボクらの時代」
 7月2日(日) 7:00-7:30
 http://www.fujitv.co.jp/jidai/